取材:柴田涼平 文:三川璃子 写真:葉山月翔
ーーあなたが未来に残したいものは?
「ラフダイニング 笑顔の食卓」
そう答えてくれたのは、株式会社ラフダイニング代表の大坪友樹(おおつぼゆうき)さんです。
株式会社ラフダイニングとは、北海道の飲食店を中心に「食」を通じて北海道の魅力を発信する会社。「もんきち商店」「Sachi」「シハチ鮮魚店」などの飲食店の他、魚の卸売、デリバリーを展開しています。 |
飲食店、鮮魚店、卸売を担う、ラフダイング。大坪さんが「笑顔の食卓」を通じて届けたい想いとは?
大坪さんの現在→過去→未来をたどりながら紐といていきます。
現在〜笑顔の食卓でファミリーを増やす〜
「せっかくなんで飲みながら取材しましょうか(笑)」と冗談混じりに取材陣を笑顔で迎えてくださった大坪さん。誰かと一緒にご飯を食べているときが日常の1番の幸せだといいます。
「笑顔の食卓」を広げるため、食を通じてさまざまな活動をするラフダイニング。現在の活動を伺います。
大坪:ラフダイニングは、平成16年に創業しました。今年で17年目を迎えます。創業当時は札幌澄川に飲食店「懐飲庵」を構えるところからスタート。
「もんきち商店」や「Sachi」など少しずつ業態も増え、今は札幌市内11店舗の飲食店を経営しています。
その他「日常に美味しい魚を食卓に」をコンセプトに道外に向けた北海道産の海産物の卸売、札幌市内では魚屋さん「シハチ鮮魚店」もやっています。
コロナが流行り始めた2020年頃からは、走る魚屋として、移動販売式の魚屋を始め、札幌駅高架下で飲食店が15店舗ほど集結した複合企画「つなぐ横丁」の企画、運営管理もしています。
魅力的な北海道札幌のまちづくりの一助になれるよう、奮闘中です。
ーー株式会社「ラフダイニング」の名前の由来を教えてください。
大坪:幼少期、そして学生時代のバイト経験が社名のルーツです。
両親が共働きで、幼少時代は食卓を囲む機会は多くありませんでした。母手作りの愛情こもった料理は毎日用意されていましたけど、レンジでチンして妹と寂しく食べることが多かったんです。
そんな日々を過ごす中、大学時代アルバイトで出会った居酒屋が転機でした。店内はいつも満席。テーブルには、友人や家族、恋人と一緒に笑い合うお客様の姿が常に見えていました。
お皿とお皿がぶつかり合うガチャガチャした音でさえ、幸せな音に聞こえる。ワイワイした空間に、自分の胸があたたかくなる感覚を得ました。
笑顔で食卓を囲む経験が少なかったからこそ、自分がこの空間や食卓を作れたらどんなに幸せだろうと強く思いましたね。
周りの人たちを食卓で笑顔にしたり、自分がそれで笑顔になれるのは魅力的な仕事だなと。そんな背景があって「笑顔の食卓」=「ラフダイニング」と名前をつけました。
ーー飲食店のお店づくりでこだわっている点はありますか?
大坪:個室をつくらないことですかね。「笑顔の食卓」のそばにいたいという想いから、お客様同士の距離を近づける造りにしてるんです。
隣のテーブルともコミュニケーションが取れるような空間づくりは昔も今も大事にしていますね。
ーーなるほど、隣同士のお客様も自然発生的にコミュニケーションがはかれる距離感ですね。
ラフダイニングが創業して17年。一号店、二号店にとどまらず店舗を拡大していった背景は何ですか?
大坪:純粋にファミリーを増やしたかったからです。従業員、お客様含め、食卓を囲むみんなはファミリー。お客様も1人よりは100人、一緒に働く仲間もより多い方が楽しそうじゃないですか。
ファミリー感のある温かい関係性が増えれば増えるほど自分もワクワクする。だから創業当初から1店舗だけでは足りないと思っていたんでしょうね。
企業理念には「あなたがいてくれてよかった。を本日もより多くの方に届ける 「ALL FOR BIG FAMILY」を掲げていて、ラフダイニングに関わる人を創業から常に大事にしてきました。
今でも従業員の名札は私が手書きで書いて渡しています。
社内では従業員全員が、互いに名前と顔を覚えるのは当たり前。お客様の名前、顔を覚えるのも当然です。出会った人の顔と名前を覚えて、コミュニケーションをしっかり取ってこそ「ファミリー」だと思っています。
ーー飲食店の他に、「魚屋」の事業を展開していった理由は何でしょう?
大坪:数年前から流行り始めた「産直」(*産地直送の略)の言葉に違和感を抱いたのが始まりです。産直のメリットは新鮮な魚がお客様の手に届くことだけじゃない。
漁師さんしか知らない珍しい魚を仕入れられたり、現地の美味しい調理法もお客様に伝えられることもメリットだと思います。
産直は「人」とのつながりやストーリーが見えてこそ意味があるな、と考えた時に自分たちでファミリー感のある魚屋をつくっちゃおうと思いました。
ーー「産直」のノンフィクションをも大事にしているということですよね。
大坪:そうですね、もっと言葉の本質を追求してやりたいと思いました。
実は2048年に天然魚が無くなると言われてます。漁業は北海道にとって大事な産業です。魚がなくなったらお客様を喜ばせられない。
「魚を守るために、自分たちができることは何か?」
考えた時に生まれたのが、2048年の48の意味をとった「シハチ鮮魚店」です。私たちには料理の技術がある。未利用の魚も積極的に仕入れて、お客様に美味しくいただけるように工夫も凝らしています。
コロナが蔓延し始めてからは移動販売式の魚屋も始めました。
コロナによって飲食店への客足は激減。お店で待ってるだけじゃお客様は来ない。「それなら自分たちが動けばいいんだ」という発想で、外に出るのが不安な方向けにサービスを開始しました。
早くから動き出せたので、みなさんに喜ばれましたね。お店以外でもこんなに喜んでもらえるのかとやりがいを感じた瞬間でした。
ーー事業を展開し、ファミリーが増えていく中で大変だったことはありませんでしたか?
大坪:従業員の離職はやっぱり1番辛かったですね。それぞれの人生があるので仕方ないのですが、飲食店はどうしても働く時間が夜遅くなってしまいがち。従業員が夕方に退勤できたらとか、業界平均以上の給与がもらえたらとか、悩みは尽きないですね。
なので、みんながどこの時間軸でも働けるように、ビジネスポイントは増やしてきました。
獲るところから消費まで自分たちが担えれば、仕事の幅も働く時間の幅も広がります。少しずつですが着実に点が増えてきています。これからはその点をつなげて形にしていくフェーズだと思っています。
大変なことは当たり前にありますけど、僕自身関わる人も増えて毎日楽しいです。みんなで居酒屋に行って、ご飯食べて、お酒飲んでいる時が日常の幸せ。
社員と行く旅行もほんと楽しいし、また落ち着いたらみんなで行きたいなぁと思っています。
過去〜大切な人を喜ばせたい〜
人やストーリーを大事にして歩みを進めてきた大坪さん。その根源には何があるのでしょうか?愛や笑いが溢れた大坪さんの過去を紐解きます。
目立つことは喜ばせること
ーー幼少期、どんな子どもだったと思いますか?
大坪:両親の顔色を伺う子どもだったと思います。そんなに叱られてばかりとかではなかったけど、相手に喜んでもらうにはどうしたらいいかって探っていましたね。愛されたかったし、必要とされたかったんでしょうね。
ーー幼少期で、中でも印象に残っていることはありますか?
大坪:断片的な記憶ですが、幼稚園のホールで友達とうんこをして積み木で隠して帰ったことがありますね。いや、やばいですよね(笑)
ーー衝撃エピソードですね(笑)でも、両親を喜ばせようとした行動ではないですよね。
大坪:そうですね。多分それで自己表現したかったのかな。自分はここにいるぞっていう存在証明というか。
ーー成長するにつれ、誰かを喜ばせたい行動は変わっていきましたか?
大坪:中学生になる頃は、部活動での活躍で「喜ばせたい」を表現していたと思います。当時、サッカーやバスケットボールは人気のスポーツで、自分が入ってもあんまり目立たないなと思いました。
どのスポーツならエースになれるかって考えて、選んだのがバレーボールでした。
ーーある意味その頃からブルーオーシャンを見つけることをしていたんですね(笑)
大坪:そうかもしれません。入ってからもめちゃくちゃ頑張りましたけどね。実は入ったチームは全道大会に行くくらい強いチームで、がむしゃらに練習してました。
僕は新たな1点をつくるためにチームの空気を読みながらパスを送る、セッターのポジションだったんですが、「どこにパスを送ればみんなで喜べるのか」常にチームワークに悩みながらやっていました。
今思えば、チームを回す役は大変でしたが、自分に合っていたし、楽しかったですね。
ーー大坪さんはチームプレイの方が好きですか?
大坪:勝った時、1人で喜ぶより友達と一緒に喜んだ方が楽しいからね。チームがいいかな。
チームプレーしてると、ぶつかることもあるし、投げ出して1人でやった方が楽しいんじゃないかって思うこともあるけど、寝て起きたらやっぱりチームでいたいって思う。
相手を信じきるのは大変なこと。でも日常はその連続。相手を信じきれずに逃げて、個人プレーしていても楽しくないかなって思います。
続き(後編)は10月12日更新!
飲食店立ち上げの背景には何があったのか?大坪さんが未来に残したいものとは?
大坪友樹(おおつぼ ゆうき)
◯株式会社ラフダイニング
◯公式WEBサイト
◯業態
港町のモンキチ
産直大衆BISTRO SACHI
シハチ鮮魚店