子どもたちと向き合い、地域の風土と共に多様で豊かな「人」を残していく

取材:柴田涼平 執筆:三川璃子 写真:小林大起


ーーあなたが未来に残したいものは?

「多様な文化を受け入れ、“人” を残していきたい」

そう答えてくれたのは、厚真町内で小中学生向けに学習塾(「寺子屋山路塾」、「厚真こども未来塾」)の講師を務め、豊丘地域の自治会長、NPO法人森林むすびの会の会長をも担っている山路秀丘さんです。

室蘭出身の山路さんは、道内の高校で教師を勤め、紆余曲折あり厚真町へ移住。「よそ者にも親切で、すごく絆のかたいまち」だと厚真町について語ります。

多岐にわたって地域活動をする山路さんの未来への思いとは?現在と過去も振り返りながらたどっていきます。

目次

地域の人の繋がりが、活動の軸に

家族や仕事の都合で約38年前に厚真町豊丘地区へ移住。今は豊丘地区の自治会長もしている山路さんですが、移住から現在の活動に至るまでの背景をうかがいます。

山路:厚真町に移り住んでからは、本当に豊丘の人に親切にしてもらいました。

教員住宅から出て、家を探すときも豊丘に住む皆さんにいろいろ相談させてもらって、農家さんが住んでいた家を譲っていただくことになりました。農地の関係もあって大変なこともありましたが、役場の人にも調べていただいたりしたおかげで無事引き継ぐことができたんです。

その後は教員を退職し、町内で日雇いの農家の手伝いをしたりしてました。田植えをしたり、トマト農家の手伝いをしたり。

そうこうしてるうちに、段々と地域活動も増えてきて。前任の引き継ぎで交通安全指導員になったり、NPO法人の森林むすびの会も町内の方に誘われて参画しました。

森林むすびの会では、町内の山を散策するイベントを企画したり、森林維持のために木を伐採するなどの森の管理も行っています。小学生向けに「森の学校」を開いて、自然と触れ合う機会もつくっていますよ。

ーー「寺子屋山路塾」が発足した背景は?

山路:軽舞の少年団で剣道を教えていたとき、中学3年生の子のお母さんが「厚真高校に行く予定だけどトップの成績で入らせてあげたい」って、私に相談してきたんです。

それで地域公民館のマナビィハウスで勉強を教えてたら「うちもお願いできないか」って少しずつ声がかかるようになって、マナビィハウスから拠点を家に移して「寺子屋山路塾」としてやることに。もう10年くらい経つかな。気づけば20人くらい教えてたね。

ーー地域での活動を幅広くされてきたんですね。2018年の胆振東部地震の際も地域のつながりが強みになったという話を耳にしましたが。当時の様子を教えていただけますか?

山路:家の裏山が土砂崩れの恐れがあったので、すぐにマナビィハウスに避難してきました。到着時はすでに消防や町職員もいて、対応は想像以上に早かった覚えがあります。

避難場所となったマナビィハウスは、泊まる人は少なかったものの給水や避難物資の拠点になっていたので、自然と人が集まるようになってました。

そこで防災行政無線で流れる情報をまとめた「安心とよおか」という手書き新聞を作って配布したんです。給水車が来る時間や災害ゴミの処理方法、自衛隊が用意してくれたお風呂の情報などを記載していました。

毎回同じような情報になることもありましたが、安否確認も兼ねて何度も豊丘地域の人々に配布しました。水道が開通し、給水車が引き上げる9月28日まで全13回発行しましたね。

ーー豊丘地域の人々はきっと山路さんや手書き新聞にとても助けられたと思います。

山路:地域に住む一人としてやるべきこと、できることをやったまでだと思っています。結果的に感謝されるものになったのはとても嬉しいことです。

学校の垣根を超え、一人ひとりと共に歩む教育

長年高校の社会科教師を務めてきた山路さん。教員時代は、課題を抱える生徒に向き合うことで、体調を崩すほどの苦悩や葛藤もあったと言います。

そんな山路さんが教員を退職した今もなお「寺子屋山路塾」や「厚真こども未来塾」を通して子どもたちと向き合い続ける想いとは?

ーー山路さんが教員を目指したのはなぜですか?

山路:大学で教職課程を取って、教育実習に行ってからかな。生徒をどうにかしたいという確かな気持ちは当時なかったと思うけど、感覚的に面白い、やってみたいと思いました。

勉強して教員免許を取って、最初に勤めたのは礼文高校でした。

1980年代当時は全国的に中高生が荒れていた時代で、初めて担任として受け持ったクラスはかなり大変でした。教材研究よりも、生活指導に時間と力が必要でした。

その後、追分高校に転任したんですがなかなか苦しい時代は続いていて、島とは違う“難しさ”も感じました。

1クラス45人いても、途中で学校辞める生徒が10人以上はいる状態。なるべく一人ひとり辞めさせたくないと思って、何度も家庭訪問をしたりしたけど。それでも難しかった。

子どもたちが学校を辞めるのには理由があるし、いろんな問題を抱えているはず。それに教師が逃げるわけにはいかないと思っていました。周りには「よく逃げないね」って言われることもあった。

でも、自分の身体の調子も悪くなってしまってね。追分高校には9年勤め、その後苫小牧東高校へ15年勤めて早期退職しました。

ーー退職した今も、「教育」に関わり続けていると思うのですが、その理由は何ですか?

山路:子どもが嫌いなわけじゃないんです。学校というシステムの中で一人ひとりと向き合うことが、自分の力では発揮できないと感じていました。

だから、寺子屋山路塾では1対1のスタイルに。小学生も中学生も変わらずマンツーマンで教えています。

「山路塾はこういう方針でやりますが、いいですか?」って、最初に生徒たち一人ひとり約束しています。親に言われて塾に来る子どもたちがほとんどなので、「やる覚悟があるかどうか」を確認してから一緒に歩むようにしています。

1対1で向き合って約束すると、生徒たちもどんどん変わってくるのが見えるんですよね。生徒の変化も身近に感じられる。

生徒の変化や悩みに対応できない状態ではなく、無理なく一緒に走っている状態になってきているなと思います。

寺子屋山路塾の他に、上厚真地区の厚南会館で週に一度行われる「厚真こども未来塾」も発足。山路さんを含む地域の人々が先生になっている塾です。地域ならではの支え合いの教育の場が生まれていることについて「学校の先生に全てを任せるのではなく、地域の人が担う部分があっていいと思う」と山路さんは言います。

山路:時代によって、教育の現場は変化してます。昔はいわゆるヤンキーが多いような時代だったけど、そこからいじめが問題になって、今は不登校が問題になっています。

落ち着いたと言われればそうかもしれないけど、社会の影響によって内面に抱えた問題は大きいと思います。どの時代も、先生が一人ひとり向き合わなきゃいけないのは変わらないんです。

でも、担任の先生が一人で背負うと潰れてしまう。学校のシステムをもう少し変えられたらいいなと思います。

先生が部活動に費やす時間は勤務時間外になってしまうとか、勤務形態での負担も大きいです。

部活動や課外活動を土日だけでも地域の人に任せることもできるんじゃないかと思いますね。信頼関係を築くのは時間がかかるかもしれないけど、学校と地域が密に連携を取れれば、不可能ではない。

学校だけじゃなく、地域全体で「どういう子どもたちを育てるのか」っていう話はしていくべきだと思います。

厚真の昔ながらの風土が現在、未来へつながる

地域と教育に密接に関わってきた山路さん。厚真の暮らしからみる、残したい未来についてうかがいます。

ーー山路さんにとって厚真の暮らしはどのように感じてますか?

山路:厚真町はとても絆があるまちだと思います。特に豊丘地区には結束感を感じるし、私がここに住みたいと思ったのもそれが理由。

歴史を遡って、農家さんたちが紡いできたものなんじゃないかなとも思います。そういう背景があって、今がある。

最近は地域おこし協力隊として、厚真に来る若い人たちも増えてます。それぞれ色んな技を持ってるんですよね。多様な人がきてくれるのはまちを元気にさせてくれることにもつながる。

人を受け入れる風土があるので、地域おこし協力隊の農業支援員の定着率も高いです。やっぱりまち全体で、新しい風を受け入れることが大切だと感じてます。

せっかく来てくれる人たちがいるからこそ、私たちももっと厚真の暮らしを面白がっていけたらいいなと思います。

ーー豊丘ではどんな暮らし、地域づくりを目指したいですか?

2023年も4回目の自治会長を務めましたが、私も2024年で70歳になります。

豊丘地域も高齢化が急速に進み、色んな問題を抱えるようになってます。自治会内や役場、民間と協力しながら規模は小さくても暖かい関係性を維持したい。「安心して過ごせる厚真町、豊丘」を維持したいと考えています。

ーー今後どんな未来を描きたいですか?

山路:未来は若い人たちに任せていきます。我々がそれを受け入れていくだけ。求められるならアドバイスはします。でもこっちから一方的に口出しはしないです。

若い人たちが面白いまちだと思えるように、僕らも面白がって生きていこうと思います。

ーー未来に残したいものはありますか?

未来に残したいものは、「人」ですね。

建物をつくっても人は増えない。それを担う人が必要です。

教育も含めて多様な人やアイデアを受け入れていくことが未来を面白くさせると思う。

だからこそ、人が残っていくべきなんだと思います。

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この記事を書いた人

「拝啓、未来」編集長
想いをていねいに綴る。その人の“ありのまま”の言葉を大事にしています。

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