自然の恵を五感で“たのしむ”、日常に幸せを

自然の恵を五感で“たのしむ”、日常に幸せを

取材:柴田涼平 文:三川璃子 写真:小林大起


ーーあなたが未来に残したいものは?

「この場所を創り、守り続ける人の想い」

そう答えてくれたのは、北海道厚真町で原木しいたけの栽培・販売を行う株式会社たのしい代表取締役の堀田祐美子(ほりたゆみこ)さんです。

取材当日、堀田さんのご自宅にお邪魔させてもらい、厚真町産の野菜をふんだんに使った料理を振る舞っていただきました。料理の美味しさに取材陣も思わず、肩の力がゆるみ笑顔がこぼれます。

厚真町の野菜を使った、堀田さんの手料理

「厚真町では四季の変化をつぶさに感じられて、暮らしているだけで楽しいです」と語ってくれた堀田さん。

堀田さんが残したい、厚真町を守る人たちの想いとは?

堀田さんの現在→過去→未来をたどりながら紐解いていきましょう。

目次

現在 〜小さな幸せを紡ぎつづける〜

「人生いつ終わるかわからない、だからこそ今、”たのしい”ことをしていたい」ーーそんな想いをテーマに設立した株式会社たのしい。立ち上げの背景や現在の活動をうかがいます。

取材風景1

堀田:2020年に株式会社たのしいを設立しました。原木しいたけを中心に農産物の販売と加工をしていますが、特に幅を決めてやっているわけではなく、「何かたのしいことしよう」というのをテーマに活動してます。

出身は白老町なんですが、厚真町で農家をしている夫との結婚を機にここに移住しました。もう移住して11年目ですね。夫が米やしいたけ、ハスカップなどを生産していて、その流れで会社を立ち上げることに。

ーー移住10年目というタイミングで会社を立ち上げた背景などはあったのでしょうか?

堀田:2018年に起きた胆振東部地震が一つのきっかけです。当時私も震源地である厚真町にいて、震度7の揺れを体感しました。

幸い家族も無事でしたが、自宅は全壊。秋に収穫予定だったしいたけの原木も、約2万本が崩れてしまう事態でした。そこで「人生いつ終わるかわからない」って思ったんです。それなら、自分のやりたいことをやって楽しく生きていこうと。

もう一つは、夫が作っていた原木しいたけの美味しさをもっと知ってほしかったから。原木しいたけって、自然の木から生やして育てる昔ながらの栽培方法で、菌床栽培※に比べて、ものすごい手間ひまがかかるんです。

(※菌床栽培とは、原木の代わりにおがくずなどを固めたものを使用し、人工的に栄養分を添加して栽培する方法。原木栽培に比べて、栽培期間も約半分。コストも20%ほど安くなる栽培方法です。)

震災時のハウスの様子(写真提供:堀田さん)
震災時のハウスの様子(写真提供:堀田さん)

毎日700本以上の原木を手で運んで、ドリルで一本ずつ菌を植える。菌がムラなく行き渡るように原木を組み直す「天地返し」をしたり、刺激を与えるために1本ずつ浸水させたり。うちでは約1万本、これら全ての工程を手作業で行っています。

▼作業の様子

ーー1万本を手作業ですか…。驚きです。

堀田:重労働ですよね。私も実際に手を動かして知りました。ていねいに手作業で育てられる原木しいたけって本当に美味しいんですよ。この手間ひまを知って食べるとより美味しく感じる。

だけど、この美味しさや手間ひまの価値が市場にうまく出ていないのが現状。こんな投げ売りみたいな値段で売っているのかって気づいた時はショックでした。もったいないって思ったし、もっと価値をうまく出せると思いました。

取材風景2

きっと買う人にとっても自分が口にするものなので、食べ物の背景は知っておいた方がいい。原木しいたけをまずは”知ってもらう”ために会社を立ち上げました。

ーー原木しいたけの認知を広げて、地位向上を目指されているんですね。
新しいことに挑戦するのには勇気がいると思いますが、誰かに任せず自分でやろうと思えたのはなぜですか?

堀田:そんな大それたことじゃないですけど、単純にこの原木しいたけを残し続けたいと思ったからです。さっきお話した通り、原木しいたけの栽培は重労働です。なので、この事業を離れる人も多くて。昔はまわりに30軒ほど原木しいたけを作る農家さんがいたんですが、今やっているのはほぼうちだけ。だから、私たちがやめたら原木しいたけは消滅してしまうんじゃないかって肌で感じました。

原木しいたけは、コストが高いので大規模で栽培してもメリットはありません。なので、私たちのような小さな農家にしか作れないものなんです。私たちにしかできないからこそ、小さくてもいいからこの事業を続けたい。

会社を立ち上げたからといっても、大きなことを成し遂げたい!ってわけではないんです。今、何の障害もなく幸せな状態。これがずっと続いていけばいいなと思います。

ーー堀田さんはどんな時に幸せを感じるのでしょう?

堀田:何気ない日常に幸せを感じます。全身で太陽の光を浴びながら農作業する時間。からだをいっぱい動かしてぐっすり寝るとか、健やかに感じる瞬間に幸せを感じます。

堀田さんのお子さんが遊ぶ様子
堀田さんのお子さんが遊ぶ様子(写真提供:堀田さん)

堀田:株式会社たのしいの名前は、江戸時代末期の和歌集、独楽吟(どくらくぎん)が由来。どの短歌も「たのしみは…」で始まり「…する時」で締められている和歌集です。

たのしみは 朝おきいでて 昨日まで 無かりし花の 咲ける見る時

(朝起きて庭に出てみると、昨日まで咲いてなかった朝顔が大きく見事に咲いているではないか。ああ、こんな時なのだよ。なんとも言えずうれしくて幸せな気分になるのは)

新井満 『樂しみは』講談社,2008

日常の些細なことに幸せを感じて喜ぶという内容。ささやかな季節の変化を見逃さず、楽しみを見出す。「たのしい」を見つけることを大事にしたいと影響を受けました。

農家の仕事をしていると、自分は自然に生かされているって感じるんです。外でハスカップの剪定している時、聞こえてくるのは虫が飛ぶ音、野鳥が鳴く声と風の音だけ。自分以外その場には誰もいない。人間はこの世界の主役ではなくて、脇役だったんだって。すごくちっぽけな存在に思えました。

ハスカップ
ハスカップ(写真提供:堀田さん)

堀田:人の悩みってだいたい人間関係じゃないですか。でも自然に身を投じていると、それってとても些細なことなんじゃないかって思えるんです。世界は自分たち人間の思い通りになるわけないし、コントロールしようと思う方がおこがましいなって。

自然からいただくものを、全身の五感を使って感じる、その瞬間が気持ちよくて幸せですね。

過去 〜笑顔がほころぶ「食」が好き〜

農業の世界に入ったことで、自然の尊さと健やかな暮らしに改めて気づいた堀田さん。ですが、もともと農家とは全く違う仕事をしていたんだそう。

「農業とは関わっていなかったけど、昔からずっと食を振る舞うことは好きでしたね」

堀田さんの中にある「食」というキーワードはどこで生まれたのでしょう?過去を遡って見ましょう。

たのしいたけ干しスライス
たのしいたけ干しスライス(写真提供:堀田さん)

広い世界で「自分らしく」楽しむ

心がほっと落ち着く堀田さんの柔らかい言葉と語り。そんな堀田さんも幼少期は、意外にもやんちゃな一面があったといいます。

ーー堀田さんは、どんな幼少時代を過ごしていたのでしょう?

堀田:小学生の頃は、漫画や本をずっと読んでました。夢中になって本を読んでいたら、気づいたら夜になってるって日もありました。うちの両親は車の整備工場をやっていて、忙しかったので1人で遊ぶことも多かったかな。あと、兄に連れられて田舎でしかできないような遊びもしてましたね。

ーー田舎でしかできない遊びとは?

堀田:目の前にあった砂浜で走り回ったりとか、うちの整備工場の裏にある廃車の上に乗っかって、鬼ごっこしたりしてました。車についてる赤色灯を触ったりとか、今考えたら危なすぎますよね。自分の子どもには絶対やらせたくない遊びです。笑

ーー意外とやんちゃな遊びをしてたんですね笑

堀田:ほとんど兄に連れられてですよ。でも、自分たちで「遊び」を考えて、楽しんでましたね。

子どもたちが雪で遊ぶ様子

ーー楽しみ方を見つけるのが上手だったんですね。

堀田:両親がそう教えてくれていたからかもしれません。私たちのことを「子ども」というよりも個人対個人で付き合ってくれていた。子どもは自分のものじゃないし、付属品じゃない。人としてずっと接してくれた影響が大きいです。

両親はよく私たちに「広い世界を見せたい」と言ってて。実際、父も北海道中をドライブで連れて行ってくれたりとか。何事も視野は狭めずに広くっていうのを、大事にしてくれてました。「どこにいても自分らしい生き方ができる」っていう意識が自分の中にあるので、何があっても不安にかられることはあまりないんです。

ーー移動に伴うハードルとか、環境を変えることに抵抗感は少ないんですかね?

堀田:そうですね。新しいことや環境を目の前にしても「わ〜何それおもしろい!」って思います。生まれてきて、今まで出会ってきた人はみんな面白かったですね。苦手っていう感情はありませんでした。

恵まれた性格もあるかもしれないけど、やっぱり両親がそうやって新しい世界が面白いことだっていうのを教えてくれたからだと思いますね。

取材風景3

あと、「食」が好きになったのも両親の影響。仕事で忙しいのに、いろんなところに連れて行って食べさせてくれたり、普段食べないようなものも、「冒険しよう!」って面白がって買ってきてくれる。両親が色んな「食」を見せてくれたことで、私も興味を持ち始めて、レシピを見ながら自分でお弁当やおやつを作るようになりました。

食卓を笑顔で彩りたい

「小学生から今までずっと食は好きですね」ーー取材時に料理を振る舞ってくれる姿から、食に対する想いや愛が垣間見えます。堀田さんの中にある「食」というキーワードを深ぼります。

ーー堀田さんが食を好きだと感じる背景って何でしょう?
美味しいと感じる瞬間なのか、それとも食卓を囲むのが好きとか。

堀田:食卓を囲んでみんなが笑顔になる時が好きです。美味しいものを食べてる時って自然にみんな笑顔になって、不機嫌な人がいなくなるんです。食べながら「美味しいね」っていう会話が生まれるのが喜びですね。

中学、高校では、自分の作ったおやつを友達に持っていってあげたりとか。大学生の時は、一人暮らししてたんで、みんなを家に呼んで「鶏パーティーだー!」って言って、たくさん鶏肉料理を振る舞うとか。みんなでわいわい食べるのがずっと好きで、そういうことやってました。

堀田さん料理おもてなし

ーー今日も僕たちに料理を振る舞っていただいて、本当に美味しくて素敵な時間でした。
食を通じて場をつくることをずっとやられてたんですね。

堀田:それが私の楽しみであり幸せだったんです。昔は、料理を振る舞うことで人に好かれたいとか認められたいって気持ちが少なからずあったかもしれない。でも今はもう、自分のやりたいようにやっているだけ。自分の作った料理を美味しく笑顔で食べてる人がいるだけで満足。自分が作った料理と伝えず、窓の外からその光景を見てるだけでも幸せです。

ーー農業とは全く違う仕事をしていたとのことでしたが、大学卒業後はどんなお仕事をされてたんですか?

堀田:大学卒業後は、札幌、苫小牧で事務や人事課として働いていました。事務所でずっと机に向かってする仕事で、農業や食べることにも全く関係ない仕事ですね。

でも会社員時代に、食の「楽しさ」だけでなく「重要性」っていうのに改めて気づかされる出来事がありました。

取材風景4

当時一緒に働いていた隣の女の子が仕事のできる人で、周りから仕事をたくさん任されてしまって。結局、休職するくらいまで病んでしまったんです。私は隣で、どんどん身体が薄くなっていく彼女を見ていました。「大丈夫?食べてる?」って聞くと、ご飯は駄菓子を食べてるって。

ストレス溜まる時ってジャンクフードって食べたくなるじゃないですか。だから、何かそういう食事をしているのが罰のように思えたんです。穴を埋めるためだけの食事に感じました。

たのしいたけのしいたけ料理・レシピ
しいたけ料理(写真提供:堀田さん)

食べることが自虐行為ではなく、自分を健やかにするための行為でありたいと思いました。私は当時、彼女のその行為を止められなかった。助けてあげたかったっていう後悔もあります。

だから、食を通じて自分のための楽しい生活を手にして欲しいという想いもあって、株式会社たのしいは、「大人たのしい生活を」っていうコンセプトも大事にしています。

地震をきっかけに知る、幸せのカタチ

堀田さんの趣味としての食が、結婚を機に仕事へと変わっていきます。たどり着いた厚真町では、健やかな時間を過ごしつつも、胸が押し付けられる辛い出来事もありました。

ーー不安や悩みがちっぽけに感じて、幸せがずっと続いている。

そんな堀田さんでも、今までで辛かった出来事もあったのでしょうか?

胆振東部震災後の家の中の様子
震災後の様子(写真提供:堀田さん)

堀田:胆振東部地震の後、みんなで楽しく食事をする会ができなくなってしまったことが辛かったですね。地震の揺れで家は全壊して、居場所もなくなりました。家の片付けをしながら、子どもたちの心のケアもしなきゃいけない。さらに、地震の揺れの影響があったのか、しいたけの収穫量がとても多くて、1日に何度も収穫して選別するっていう、ずっと落ち着かない日々を過ごしてました。

厚真町にいる友達も、体育館や仮設住宅で半年間も避難生活をしていて、私たちよりも大変な状況の人もたくさんいました。自分もそんなことしてる場合じゃないけど、みんなの話を聞いたり、聞いてもらったり。苦しい状況だからこそ、人が集まれる楽しい会を開きたかった。

当時はあまり気づかなかったけど、今振り返ってみると、楽しい場を創れないもどかしさが苦しかったですね。

ーー苦しい状況になった時、堀田さんを支えたのは何だったのでしょう?
どのように乗り越えましたか?

堀田:状況は大変でしたけど、その分幸せのハードルは下がりました。家族がみんな無事で、一緒に居られることがものすごく幸せだと思った。

堀田さんご家族
堀田さんご家族(写真提供:堀田さん)

あとは、日常が当たり前じゃなかったことを感じたことです。「水が出る!お風呂に入れる!」とか、この苦しい体験をしないと気づかない幸せなんですよね。

今ある状態がハッピーだし、この状態を続けたい。場所が失われる大変さも実感しました。だから、家がなくても「ここにいるだけで安心安全」って思えるような存在になりたくて。「ママが大丈夫って言えば、大丈夫だね」って言われる、何もしないけど周りを安心させられる”ムーミンママ”になるのが私の理想。

堀田さんとお子さんが話す様子

子どもたちにとってそういう存在であることはもちろん。自分が住んでいる半径数キロメートルの人たちにとって、そう思ってもらえたら幸せです。

あなたが未来に残したいものは?

稲穂の水鏡
稲穂の水鏡(写真提供:堀田さん)

ーー最後に、堀田さんが未来に残したいものは何ですか?

「ここの場を創り、守り続けてきた人の想い」です。

田園風景って、野生じゃないんです。あれは農家さんが用水路を掃除して、あぜ道の草を刈って作っているもの。暮らすためにたくさん手間がかかっているものなんです。

厚真町にいると、四季の変化がつぶさに感じられます。リスの冬毛や渡り鳥を見ても思いますし、稲穂の水鏡を見て感じることも。稲穂の水鏡っていうのは、田植えしたての田んぼに空が映ること。上も下もキラキラした空のような。育ってしまうと水面が隠れてしまうので「水鏡の時期も終わったね」ってふと時の流れを感じるんです。

今、この綺麗な景色が見えているのは、この場を守り続けた人たちのおかげ。

厚真町の人たちは、本当に自然に感謝しながら生きている人が多いです。地震で廃棄になってしまう木に申し訳なさを感じたり、生き物の瞬間の色をいただくという意味で草木染をしている人もいる。

人間はあくまで脇役。主役である自然を大事にし続ける町の雰囲気や考え方、そして人の想いは残していきたいです。


《堀田祐美子(ほりたゆみこ)》
株式会社たのしい
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この記事を書いた人

「拝啓、未来」編集長
想いをていねいに綴る。その人の“ありのまま”の言葉を大事にしています。

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