深く強く根を張り、倒れない未来へ。サッポロ珈琲館が歩んだ軌跡

サッポロ珈琲館 伊藤栄一さん

取材:柴田涼平 文:谷郁果 編集:三川璃子 写真:江頭昇吾


ーーあなたが未来に残したいものは?

「日に新た」

この言葉を、次の世代に伝えたい。そう語るのは、サッポロ珈琲館の創業者であり代表取締役会長の伊藤栄一さんです。

サッポロ珈琲館は、1982年に札幌市で創業したコーヒー専門店。現在は札幌市内を中心に、11店舗展開しています。
珈琲豆の産地と炭焼珈琲にこだわった最高品質のコーヒーで、豊かな時間を提供することを信念に掲げている会社です。

創業から40余年。今までどんな試練があり、どう乗り越えてきたのでしょうか。伊藤さんが、未来に残したいもの、次世代に伝えたいものとは。

がむしゃらに、前を向き続けた学生時代

取材陣が訪れたのは、札幌の歴史を感じる時計台の隣にあるサッポロ珈琲館 時計台ガーデンテラス店。どこか非日常的で、中心部とは思えぬほっと落ち着く空間です。

「コーヒー、真っ黒でしょう」と笑顔でコーヒーを出してくださった伊藤さん。このコーヒーが出来上がるまでの背景とは。早速、伊藤さんの生い立ちから伺っていきます。

ーー伊藤さんはどんな子どもだったのでしょう。

伊藤:家が貧しくて、大変な幼少期でしたよ。父親が知人の借金の保証人で、家も取られ、起こした仕事もうまくいかなかったようで。僕が小学校6年生の時、父と一緒に札幌から旭川へ夜逃げしました。

そこからはアルバイト漬けの生活です。小学校6年生の時は納豆売り。自分で仕入れて自分で売って歩いたんだよ。中学時代は新聞配達と牛乳配達をして、高校は学費の安い商業高校に進むしか選択肢がなかったので、もう死に物狂いで勉強しました。

なんとか高校に合格して進学したけれど、アルバイトばっかりで勉強する暇なんてありませんでした。酒屋の販売とそれから清掃業。いろんなアルバイトもやりながら、部活もやっていたね。

部活は、自分でつくった軽音楽愛好会っていうバンド活動をしていました。アルバイトで忙しかったけれど、バンドの仲間に支えられました。商業高校の3年間は、仲間と一緒に無茶苦茶に楽しんだ記憶がありますね。パーティーをしすぎて校長先生に怒られることもあったけど、遊びに全力だった。(笑)

バンド仲間は今でも兄弟のように付き合っています。知人や友人なんてのは山のようにいるけれども、なかなか本音で物事を言える人っていうのは多くない。創業当時も仲間に助けてもらったね。

ーー苦しい境遇のなかでも、学生時代を楽しく過ごされている様子に驚いたというか。私だったら悲観的になってしまいそうです。

伊藤:学生時代は振り返ってみると本当に大変な時期だった。でも落ち込む暇もなかったって感じかな。もっと落ち込むべきだったかも。

どんなに大変でも「高校は行かないといけない」「卒業後は旭川を出る」ってことを決断していました。

高校卒業後は、決めた通りに布団と下着とスーツ一式を持って上京しましたよ。

選択肢は一つ。出会ったのが珈琲だった

学生時代はアルバイトにバンド活動に忙しく、疲れが溜まって宙に浮いていた感覚もあったという伊藤さん。過酷な学生時代を経て、どのように「珈琲」の道へと進んでいくことになるのでしょうか。

伊藤:我々のような団塊世代(※)が就職するのは、高度経済成長の始まりくらいの時で、かなり厳しい状況でした。たまたま上島珈琲というところに高校の先輩がいて、運よく採用してくれたんです。

(※団塊世代:戦後のベビーブーム世代であり、高度経済成長真っ只中に就職を経験した世代)

採用が決まってからは、入社前にも関わらず上島珈琲の旭川支店の手伝いに行っていました。誰よりも早く仕事を身につけたかった。

その経験もあったので、入社後すぐに立ち上げたばかりの函館支店の開設スタッフに選ばれました。店舗の状況によって札幌と函館に行ったり来たり。あと、岩見沢の営業所が新設するときに初代営業所長、釧路支店長を経て、営業本部へと経験を積みました。

ーー独立されたきっかけは何だったんですか?

伊藤:上島珈琲でバリバリ営業しながら働いていたんですけど、なんとなく「今のままの自分で本当に良いのか」と考える期間があったんです。

日に日に自分のやりたいことをカタチにしたいなと思うようになりました。「本物のコーヒー文化を創る」という夢を掲げ、自分で社長になってやろうと思い、仲間を集めていきなり会社を立ち上げました。

あとは高校時代に友だち同士で「将来社長になって、何年後かにまたここで会おう」なんて話したことがずっと頭の隅にあったんだよね。この約束を守りたかったのも理由の一つです。僕以外のみんなは忘れちゃってたけどね(笑)

ーー伊藤さんは有言実行されたんですね。すごいです。

伊藤:起業したことは間違いではなかった。でも売上もないのに5人で起業しちゃったんですよ。なかなか苦しいスタートでしたよ。

ーー「珈琲」で起業されたのには理由はありますか?

伊藤:珈琲の思い出があるって言えたらかっこいいんだけどね。そうじゃないんだよ。

当時はみんな貧しかったし、生きるのに精一杯でした。好きだから珈琲をやっているわけじゃないんです。団塊世代の就職氷河期に、拾ってくれたのが珈琲屋だった。だから今も珈琲をやっているだけ。

起業するときに全然違うジャンルに挑戦するということは、知識もスキルもゼロからやり直さなきゃいけないんですよ。珈琲屋の場合は特にそう。上島珈琲で得た経験が起業後も活きると思いました。

実際、独立時には付き合いのあった仕入れ業者が協力してくれました。当社に支払サイト3ヶ月で商品を売り掛けで卸してくれたんですよ。明日潰れるかもしれない、そんな会社にリスクを背負って卸してくれるなんて考えられないというか。ありがたかったですね。

同じ上島珈琲の中にも、UCCっていう会社がありましてね。当時はUCCの創業者上島忠雄さんに本当に助けられました。

だから今でもときどき、高野山の上島さんのお墓に行ってます。挨拶とあわせて、こっそり最近の愚痴もこぼしてくるんだ。

ーー周りの人が助けてくれたのも、伊藤さんの人柄あってこそですよね。

伊藤:いい奴だからってすぐにお金貸してあげられないですよ?

やっぱり、上島珈琲時代に真面目に支店長をやってきて、一生懸命に信用をつみあげられていたのかなと思います。人柄がいいだけでは駄目なんだよね。ただ、僕は人を裏切ることはしなかった。

個性が大事。「炭火焼き珈琲」へのこだわり

ーー独立されてから今まで大切にしていることは何ですか?

伊藤:本当に美味しいコーヒーを出すことです。

独立して最初に悩んだのが、焙煎方法でした。会社の個性は焙煎で決まります。一般大衆にうけるだけなら、普通の焙煎方法でいいんです。安ければ黙っていても売れます。

うちのコーヒーを美味しいと言ってくれるファン、更にはサポーターをつくることで隙間を狙ったブランド力をつけようと考えました。

ブランド力をつけるために、赤字が出ても絶対に安売りはしませんでした。

じゃあ個性的な珈琲をつくるためにはどうすればいいか。たどり着いたのが炭火焙煎でした。

例えば、炭火で肉を焼くと一段と柔らかくなって美味しくなるじゃないですか。これは遠赤外線効果が出ているからなんですよね。豆も炭火で焙煎すると遠赤外線を受けて非常に味が美味しくなるんですよ。

でも、炭火はガスと違って調整が難しく、コストもガスの4倍かかる。この方法を採用することは本当に大変だけど、サッポロ珈琲館のファンづくりには必要だと思ってやり続けました。

ーー今でこそ「ブランド」が重要とかって言われますけど、40年前の当時はあまりそこを攻める人はいなかったんじゃないですか?

伊藤:そうしないと勝てなかったんですよ。

積み重ねてきた個性が、サッポロ珈琲館の強みです。炭火焙煎珈琲や、お土産用の珈琲羊羹など、うちにしかできない商品を生み出して、少しずつ知名度をあげていきました。

ありがたいことに今はエアドゥの機内のサービスコーヒーもうちのを使っていただいています。

儲からない時代から、苦しみながらもコツコツとやってきました。信用を付けてきた結果が今、綺麗に花を咲かせてきたんです。

ーー伊藤さんがここまで積み重ねてきたものを、今は息子さんが引き継ごうとしているのですね。

伊藤:息子の代になって初めて、海外まで流通できるようになりました。

息子は最初に旅行会社で添乗員をしていましてね。世界各国巡って、うちの会社に戻ってきたときには、海外から直接仕入れをしたいという目標のようなものをもっていたんです。

今は4か国に5か所の契約農園があります。ここからは息子の仕事だけれども、将来的には契約農園をもっと煮詰めていかなきゃならない。

世界の美味しいコーヒーを活かすためにも、トップクオリティを目指したい。

「コロンビアといえばこの味だよね」って言える、国ごとの個性を出した最高に美味しいコーヒーを探してつくっていけたらいいなと思ってます。

トップクオリティにこだわるのには訳があって、実は自分のことを、”キングオブブレンダー”って名乗っているんですよ。

ーー伊藤さんがキングオブブレンダー=”黄金の舌”を持つというお話をお聞きしました。

伊藤:上島珈琲で働いていた時代に、よく得意先に通って勉強していました。

珈琲っていうのは、酸味が大事なんです。苦味だけのものは味が平らになってしまう。酸味を入れるとコクが出てグッと美味しくなるんですよ。

自分で豆を焼いて、ブレンドして、さらに炭焼きで美味しくする方法も。試行錯誤しながら身につけてきました。

うちには焙煎専門の人もいるけれども、やっぱり自分ができないといけない。自分ができて初めて、アドバイスができ、美味しさへの追求ができると思っています。

未来に残したいものは?

ーー最後に、伊藤さんが未来に残したいものはなんですか。

伊藤:未来はもう、息子たちに任せました。苦労して作ってきたサッポロ珈琲館のベースを守るのも変えるのも、子どもたちの自由だからね。

ただ一つ伝えたいのは「自分で木を植えたら、台風が来ても倒れないくらいの根をしっかり張って、次に枝を作りなさい」ということ。

うちは今、いろんなコーヒーシーンをつくってます。店内だけでなく家庭やオフィス、飛行機の中でもコーヒーが飲める。

こうしたたくさんの枝をつくっていってほしいです。

ーー取材の最初に、伊藤さんがくださった紙に書いてあったのが、「日に新た」でした。これにはどんな想いがあるのでしょうか?

伊藤:これは実業家である松下幸之助さんの言葉で、僕の好きな言葉。

「今日は昨日のままであってはいけない」「人の営みも天地とともに日に新たでなければいけない」という意味です。

次の世代、今の若者に言いたいことは、”棚からぼたもち”は絶対にありえないということ。待っていても何も始まらない。

チャンスは平等に来ているんですよ。

ただ、普段から自分を鍛えていないと、チャンスをチャンスだと思えない。

チャンスをつかむアンテナを磨くためには常に自分を磨き、勉強し、いろんなことを経験しなきゃならない。

みんなには夢と目標を持って欲しいね。夢や目標があれば大変なことも「苦労」と感じなくなる。僕もこれまで苦しい場面で、全部捨ててしまおうと思ったことは何度もあった。

よく「壁にぶち当たる」なんてこともいうんだけどさ、壁は全部自分で作ってるだけなんだ。目指す夢や目標があるから、その壁を信念をもって乗り越えられる。

壁が立ちはだかったら、自らひとつひとつ潰していくのみ。それが成功に近づく道になるでしょう。


伊藤栄一(いとう えいいち)
■サッポロ珈琲館創業者
■珈房サッポロ珈琲館代表取締役会長

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この記事を書いた人

三川 璃子

「拝啓、未来」編集長
想いをていねいに綴る。その人の“ありのまま”の言葉を大事にしています。