【後編】「当事者」であり「支援者」。次世代に渡したい未来をつくる

取材:柴田涼平 執筆・編集:三川璃子 写真:小林大起


ーーあなたが未来に残したいものは?

「自分が次の世代に手渡していきたいと思える、北海道を残したい」

そう語るのは、ソーシャルセクターパートナーすくらむの久保匠さんです。

ソーシャルセクターパートナー・すくらむとは
NPO法人等の非営利組織やソーシャルビジネス向けに、成長戦略策定・実行支援、ファンドレイジング(資金調達)支援、組織基盤強化などの支援を行う事業者です。
北海道の社会課題解決を促進するために、ソーシャルセクター全体の発展に寄与する取り組みを行っています。

前回に引き続き、久保さんの過去・未来編。久保さんが「当事者」を意識して働く背景には、過去の体験がつながっていました。

▼前編はこちら

動くことで「成長」を求めた学生時代

久保さんはさまざまな仕事の依頼を受ける基準として「社会課題解決」と「当事者性のあるパッション」があるかどうかが重要だといいます。論理立てて淡々と語られる姿とは裏腹に、未来に向けたアツい想いを感じます。どんな過去体験が現在の思いにつながっているのでしょうか?幼少期から学生時代のお話をうかがいます。

褒められることよりも、軸をもって勝つことが重要

ーー幼少期はどんな子どもだったと思いますか?

久保:僕、実はADHD(※注意欠陥多動性障害)っていう発達障害を持っているんですよね。8歳のときに診断を受けて知りました。いつどんな時でもチョロチョロ動いてたんですよね。幼稚園でお昼寝する時間も外へ脱走したり。それが1.2回じゃないんですよね(笑)

好奇心旺盛で、はまった分野にはとことんのめり込むような性格で、特徴が顕著に出ている子どもだったと思います。

そういう子どもって、生きづらさを感じたりするんですが、うちは両親の知識や理解がすごくあって、僕の「強み」を伸ばしながら生きやすい環境を整えてくれてました。言葉ではなく、見せる形で伝えてくれたのは、僕にとって大きかったですね。

ーー素敵ですね。とくに小さい頃にどんなものにハマったとかって覚えていますか?

久保:小さいころは、50種類以上の車を覚えたり、コマのおもちゃのベイブレードや遊戯王カードをひたすら集める、収集癖がありましたね。

あと、小学生のときは足が速かったこともあって、サッカーに夢中になってました。レギュラー取るために夜もずっとボール触ってたと思います。

ーーいろんなものに興味関心を持たれてたと思うんですが、共通していることってあったりしますか?

久保:どの分野でも一人では遊んでいなかったってことですかね。ベイブレードもカードゲームも誰かと一緒にやるから集めていただけ。サッカーも同じで、一人よりも誰かと何かをする方が楽しいと思えていたかもしれません。

おそらく、一人で完結することに面白みを感じていなかったんだと思います。例えば、自分で自分のことを評価するとアウトプットが少ないじゃないですか。他と比べて優れているとか、他者から評価されたいというよりも、人間関係の中に自分をおいて評価したいんだと思います。

仕事も同じで、自分で設定した目標に到達したかどうかよりも、自分が提供した価値に対して他者がどんな反応をしたのかってところで自分を測っていますね。何かしら相対的にみることで成長を感じていたんだと思います。

支援する側と支援される側で知る、すれ違い

ーー中学生の頃はどんなことをしていましたか?

久保:サッカーをやってたときに、ボールを手で持って走れたら楽だなって思ってたんですよね。それでラグビーを見た時に感動して、中学生のときにラグビースクールに通い始めました。

勉強は全然できなくて、運動神経は割といい方だったので高校もラグビーのスポーツ推薦でいくことができました。それが一つの成功体験ですね。

ーーでは中学生活はラグビー漬けだったんですね。

他に学生時代大変だったことはありませんでしたか?

久保:ADHDの症状はまだ中学の時も続いていて、長く座れなかったり、集団生活に馴染めないことが多々あって、苦しい時期はありました。

今はもう大丈夫ですけど、当時の僕には無意識のなかで自分をコントロールする術を持ってなかったんです。だから、授業中もラグビーのことを考えたら、止まらなくなって話が聞けなくなってしまう。

当時はその症状をほぼ毎日薬で抑えていました。でも飲んで落ち着かせる時の気持ちってあんまり良いものじゃないんです。

例えば、大事な試合や大舞台に立つ時ってめちゃくちゃ緊張しますよね?ドキドキして、そんな時に騒ごうって気にならないじゃないですか。

ーーわかります。試合の直前はご飯も食べられないくらい、ドキドキしたりしますね。

まさにそれが薬を飲んだあとの気持ちです。興奮を抑えて、とにかく自分を縮こめる感覚です。

ーー今描写してもらったことが毎日って考えると、想像できないですね。

久保:病院の先生も僕のことを考えて、この方法が1番楽になると思って勧めてくれていました。もちろん感謝はしてますけど、薬を飲む側の視点としてはそういう状況でした。

これがいわゆる、支援する側と支援される側の違いですね。この経験は本当に今の事業に活かされているなと思います。受益者の見えない声ってこういうことだなと、当事者として感じてます。

祖母の病気をきっかけに出会う、福祉への道

高校・大学とラグビーのスポーツ推薦で進学した久保さん。ラグビーに熱中した学生時代を経て、「福祉」というキーワードに出会ったのは、大学の頃でした。

久保:高校は上下関係の厳しい、北海道でも強豪校のラグビー部に所属してました。振り返ってみても、二度と戻りたくない三年間だったと思います。

今じゃ考えられない、昔のしきたりというか。先輩の言うことは絶対みたいな社会で生きてたので、苦しかったですね。幸い同期とは仲が良かったので、恵まれていました。

でもこの苦しい3年間があったから、なんでも耐えられるという精神には至らなかったですね。ただ無駄な時間は過ごしたくないと強く思いました。高校時代のおかげで非効率な時間や物事が嫌いになったのかも。ロジカルに考えたいと思えたのはここが始まりだったかもしれません。

ーー大学進学はどのように決めたんですか?

久保:ラグビーばかりで勉強は全くしてなかったので、スポーツ推薦でかつ「福祉」が学べる大学を選びました。

ーーなぜ「福祉」だったのでしょうか?

久保:祖母が、パーキンソン病という不治の病にかかって身近に触れていたのがきっかけです。何か自分の将来に向けて意思決定をしていこうと思ったときに「福祉」があった。

高校のときも「部活を休んで福祉施設にボランティアに行きたいです」って先生に伝えたこともありました。スポーツの特待生だったので「だめだ」って言われて終わりでしたけど。高校からずっと「福祉」に関連することで未来を考えていました。

ーー実際大学の時は「福祉」においてどんな活動をしていましたか?

久保:大学の講義にゲストでNPOの人が来たんです。社会福祉士を目指す人たちに対していろんな福祉の形があることを教えてもらって、既存の仕組みにとらわれずに社会を変えていく仕事が素晴らしいと思ったんですよね。

講義が終わってすぐに名刺をもらって、すぐに事務所にいきました。「僕を使ってください」って言って、かばん持ちから始まりました。

そこからどっぷりNPOに関わることになって、大学にもほとんど行かなくなりましたね。

ーーすごい行動力ですね。

久保:当時は考える前に動くってことで自分の強みを見つけてました。

最初に関わったのが障害者福祉のNPO法人で、一方で災害支援のNPOも同時に手伝っていました。

東日本大震災の翌年2012年にたまたまラグビーの試合で、被災地だった岩手県のチームと当たったことがあったんです。そのときから、ずっと東北が気になっていて、東北へボランティアにいく災害支援に携わっていました。

災害が起きたら、授業を中断して駆けつける。活動費はバイトじゃなくてNPOの有給インターンとしてまかなう大学生活を送っていました。

その生活からそのまま、大学卒業後も障害者福祉のNPOに就職することになるという流れですね。

ーー大学当時のインターンやその後の就職で現場で働くことで、どんなことが得られたと思いますか?

久保:現場にいたからこそ、完全受益者ファーストで考えることは今も活きていると思っています。規模追求型ではなく、地域にいる一人一人の受益者をしっかり設定して、その人たちの幸せを突き詰めて考えることを学びました。

現場にいたことがあるというアイデンティティは、今でも自分の誇りになってます。

未来に残したいものは?

障害をもち苦しさを経験する当事者と受益者の気持ちに立ちながらも、さまざまな興味関心に向き合って前を進んできた久保さん。今後の展望と未来に残したいものをうかがいます。

ーーこれからやっていきたいことはありますか?

久保:今やっているコンサルティング業で、一つ一つ自分が共感して向き合っている法人の人たちと今まで以上に質の良い仕事をしていくことです。

もう一つは、コンサルティング領域に踏み込んで失ったと感じている、自分のオーナーシップを取り戻すことです。当事者として向き合い続けるフィールド意識を持ちたい。

コンサルティングにおいて自分の専門性を突き詰めつつ、価値提供することだけがやりたいことではない気がしているんです。自分がどこに胸が熱くなるのか、見極めたいという思いで独立しました。

独立してみて、気づいたのは「北海道で」役割を果たしたいということ。北海道は自分が生まれて育ったまちで、自分がこれからも育っていきたいと思っているまちです。大切にしたい当事者性を感じています。

現在は、北海道のソーシャルセクター全体を発展させる取り組みに力を入れているところです。例えば、北海道NPOの理事として、『北海道NPO総合戦略』策定を統括しています。北海道のNPO法人が抱える共通の課題を解決して、どのように発展させていく必要があるのか考えています。

来年のNoMasp2023で『NoMaps×ソーシャル』を立ち上げて、多様な主体が連携してソーシャルイノベーションを生み出すためのハレの場をつくります。

北海道に根ざしながら、みんなで協働してより良い社会を創っていく。私自身が当事者として熱くなっています。

ーー活動を通して、最終的にどんな未来を描きたいですか?

久保:今関わっているクライアントビジョンが達成されれば、少しずつだけどいい社会になると思っています。そのために、社会課題解決を担うNPO等をみんなで応援する仕組みをつくることが必要だと思っています。

一地域住民として、僕がこれからもずっと安心して住み続けられる未来をファドレイジング支援通じて作っていけたら一番いいんじゃないかと思っています。

ーー久保さんの理想では何年後くらいに形になっていくと思いますか?

久保:戦略をつくっても、それ通り行かないのが世の中ですよね。まずは10年くらいのスパンで、僕の北海道でのポジションをつくっていきたいと思っています。北海道に住む当事者としてもそうだし、職業人として北海道で新たな価値を生み出していきたい。

ーーでは最後にお聞きしますが、久保さんが未来に残したいものは何ですか?

久保:自分が住み続けたいとか、自分が次世代に手渡していきたいと思える北海道です。

当事者として、北海道を未来に残せる仕事ができたらいいなと思います。

久保匠(くぼ たくみ)
■ソーシャルセクターパートナーすくらむ 代表
 北海道NPOサポートセンター理事/北海道NPO総合戦略統括
 日本ファンドレイジング協会 法人連携推進パートナー
 チャレンジフィールド北海道 産学融合アドバイザー
 えぞ財団 ソーシャルビジネスチームリーダー
 株式会社あしたの寺子屋 Chief Impact Officer

■公式サイト:https://sp-scrum.com/
■公式SNS:  Twitter / Facebook

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この記事を書いた人

三川 璃子

「拝啓、未来」編集長
想いをていねいに綴る。その人の“ありのまま”の言葉を大事にしています。