取材:柴田涼平 執筆:芹澤美咲 編集:三川璃子 写真:江頭昇
ーーあなたが未来に残したいものは?
「この事務所を100年間つづけたい」
そう語るのは、村松法律事務所所長(代表パートナー)の村松弘康(むらまつ ひろやす)さんです。
村松法律事務所 所長が弁護士を開業して46年。数多くの法律問題に取り組む北海道で最大級の法律事務所に成長。弁護士の人数のみならず、北海道大学名誉教授(法学)(医学)、元検察官にして信託法の権威など、異なるバックグラウンドを有した専門家の協力によって、様々な問題に多角的・総合的に対応しています。とりわけ経営者の相談には総合的な視点による問題解決を心掛けており、法律問題の「部分最適」を実現するだけでなく、再び問題が発生しないための仕組み、事業の成長戦略まで考えた「全体最適」を実現する「戦略的協働」を問題解決の手法として採用しています。解決の全体最適を実現するために、弁護士のみならず、医師、研究者、会計士、経営者、金融機関OBなどと課題ごとに協力して、悩める経営者の諸問題の解決に取り組んでいます。 |
村松さんは、1983年に法律事務所を立ち上げ、弁護士・経営者として、40年近く事業を継続させてきました。
「みんな、幸せになるために生を受けている」そう語る村松さんの想いの背景には何があるのでしょうか?村松さんの過去と現在、そして未来を辿りながら、紐解いていきましょう。
両親の姿から自分の「芯」を見つける
「インタビュー答えられるかな、準備しないと不安なんだよね」と沢山の資料を持って取材陣を笑顔で迎えてくれた村松さん。真摯な姿が印象的な村松さんは、どんな幼少期を過ごしていたのでしょうか。
ーー幼少期で印象に残っているエピソードを教えてください。
村松:父親は、日本で一番寒い町陸別町で、時計店を経営していました。事故で片足を切断し、40代で職を失い、その後日高町で時計修理の技術を学び、陸別町で時計店を開業しました。朝6時30分の一番列車に間に合わせるために、暗いうちから時計修理の机に向かっていた父の背中を見て、お客さんのために一生懸命努力することは当然のことだと学びました。
「努力しなければ報われることはないこと」と「報われない努力はない」ことを父の姿から学びました。
父は情の人で、プロレスのTV中継を見ながら試合に没入するほど、単純でわかりやすい人だった。母は理論家で、両親が論争しても父には全く勝ち目はなく、母の連戦・連勝だった。(笑)
そんな母だったけれど、小学校の時は、時々、弁当を2つもたされました。1つは自分用、もう1つは学校に弁当を持ってこれない友達の分です。中身は玉子と梅干程度の質素な弁当だったけれど、子供心に熱い弁当だったのを覚えてます。
父が片足をなくした身体障がい者だったこともあったのか、今振り返ると、友達には貧しい友達や、いじめられている友達が多かったと思います。一緒にいじめられて泣かされて帰った時には、母から「力で負けても実で勝て」と言われ続けました。この言葉があったから、なんとか今までもちこたえられたと思います。
ーご両親とのエピソードから、村松さんの「芯」が見えてきますね。
僕は父に似て、情にもろい。大学時代は「村松を殺すにゃ刃物はいらない」と笑われるくらい、気が弱かった。高校を卒業するまで、人間より弱い立場の犬、ネコ、ウサギ、小鳥を飼っていたので、弱い立場には常に同情的でした。
暴力に対する本能的とも言える反発心・抵抗の気持ちは、母親の遺伝子かもしれません。暴力を用いて自分の意思を貫こうとする問題解決の方法には、決して許さない強い血が流れていることを感じます。
おそらく僕の遺伝子には、母親の、理論を愛する遺伝子と、父親の、情を愛する遺伝子とが、渾然一体(こんぜんいったい)となって混じり合っているのかもしれません。
人間と人間の争いのみならず、国と国との間の争いも、暴力による解決はレッドカードです。
国と国との争いは、対話・論争という非暴力の手段、すなわち法の支配による解決を選択するしかない。そういう時代に我々は生きていることを自覚しなければなりません。
地球温暖化、気候変動の問題、一人も取り残さないSDGs、サスティナブルな生き方の問題、ダイバーシティ・多様性の確保、グローバルに拡大している経済問題をとってみても、すべての問題は国境を越えて拡大しています。
国境を越えて起こっている問題を、国境を前提に解決しようとしても無理があります。国の中の争いは自力救済が禁じられ、法の支配のルールによって司法手続によって解決されているのに、国と国の争いには、いきなり戦争という形の武力・暴力が許され、市民に対する暴行・傷害・拷問・強姦・誘拐・殺人が野放し状態になることは、これからの世代の力でどうしても止めなければならないと考えています。
弁護士は「幸せ」を修復するためにいる
両親から受け継がれた揺るがない「芯」。情にアツく、理論立てて話すことも大切にする村松さんが弁護士を志したきっかけとは?現在の活動に至るまでの軌跡をたどります。
ーー弁護士を目指したきっかけはなんですか?
高校時代の一時期、中央大学法学部の通信教育過程に通っていた、北海道開発局に勤務している公務員の方と同居していました。彼の本棚に並んでいる法律の本を眺めているうちに、法律という「未知の世界」に惹かれていきました。
もう一つのきっかけは、東京で浪人中、新宿の浪人生の下宿での出来事です。我々下宿生の食事の世話をしていた20代のお手伝いさんが、夜遅く救助を求めてきたことがありました。お手伝いさんの話によれば、下宿の主人から性的嫌がらせを受けて逃げてきたということなので、下宿生全員で下宿の主人と話し合って、やめさせたことがありました。
お手伝いさんに感謝されましたが、女性に対するこういう不当・違法なことが世の中にまかり通ることがあってはならないことを痛感しました。「力による支配ではなく、法律による支配(ルールオブロー)」こそが、これからの社会の約束にならなければならない。法律の役割は大事だと感じたことも法学部を目指した理由でした。
そうは言っても高校時代は化学室でネコを飼ったり、毎晩ネコの世話をしていたこともあり、成績は芳しくありませんでしたが、浪人してなんとか早稲田大学法学部に進学することができました。
ーー弁護士になられてから、数々の相談や依頼を受けてきたと思いますが、困難を感じる時はいつですか?
暴力団員による覚せい剤取締法違反事件や詐欺、暴行傷害事件では、面会するたび、「このままだと刑務所とシャバを行き来するだけで人生が終わってしまう」「この機会に暴力団はやめるべきだ」と強く説得することが常でした。「一度しかない人生をもったいない」と言ったこともあります。説得を受け容れ、脱退した暴力団員には、その後の就職の世話をしたこともありました。しかし、「オレを人間として扱ってくれたのは親分だけだった」、どうしても脱退を拒んだ若者のこの一言は、その後もボディーブローのように効き続けています。
弁護士は「困っている人の最後の砦」であるべきだと考えて仕事をしているので、難しい事件でも、その人の言い分に説得力がある時は、頼まれれば積極的に担当するようにしています。やりがいはありますが、倍以上苦労します。自分の正義感に沿わない事件を担当することは今でもほとんどありません。
こうした困難もありますが、それでも僕は生まれ変わったらおそらく弁護士を目指すと思います。「困っている人の最後の伴走者」という姿がなかなか格好いいからです。
ーー村松さんがそこまで行動できる源はなんですか?
不幸になるために、この世に生をうけた人はいません。人間は幸せになるために生まれてきたんです。
トラブルに巻き込まれても、あきらめず、くじけず問題解決のために汗を流し、必死に努力する人を応援することが僕らの役割です。
トラブルがきっかけで争いになっても、問題を解決し、関係を修復し、もとのスタートラインに立ち、再スタートを応援することが弁護士の仕事です。
一番うれしいのは、再スタートを切った後、より強い信頼関係が築かれ、より強いきずなで付き合いが続くときです。
長渕剛の「幸せになろうよ」という歌に「出会った頃の二人にもう一度戻ってみよう。そして二人で手をつなぎしあわせになろうよ」というフレーズがあります。
この気分で仕事をしている時が一番幸せを感じるときです。
困っている人がいる限り、ゴールを見ない
ーー事務所開業から約40年、村松さん自身が弁護士であり続けるのはどうしてですか?
多くの助けを必要とする経営者、個人の方がいるからです。
僕は、人生をいつも「On The Road」すなわち「途上」であり、ゴールはこの世を去る時だと思っています。ピークは目指すが、決して登りきることはしない。だからゴールのテープが見えてくるととりあえず立ち止まる。そして周りを見渡して、別のゴール(役割)を見つけて走り出す。役割があるうちは走りつづけたい。まぐろのような生き方といってもいい。走りつづける力が尽きたときが、役割を果たし終えた時です。
僕の考える真の「ゴール」は、弁護士という職業に対する社会的ニーズがなくなるとき、困っている人がいなくなった時です。すべての人が幸せになったら、弁護士は失業します。ハッピーエンドです。
ー『弁護士は人生の困難を解決して、「幸せ」を実現するために存在する』とおっしゃっていました。「幸せ」ってなんでしょう。
誰もが、小さな手に一粒の種を握りしめてこの世界に誕生します。一粒の種には、君が君であるために必要な、先祖からの情報・アイデンティティ・個性・人生の夢・志などがつまっています。この種はやがて土に落ち、芽をふき、色とりどりの花を咲かせ成長していきます。形も色も高さもそれぞれで、同じ木はひとつもありません。
1本の木がやがて花を咲かせ、再び種をつくり、天を目指してのびのびと、成長していく、この状態が幸せの中身だと思っています。
「自分が1本の木であったとしたなら、ただ天に向かって真っすぐ伸び、風は自分を鍛え、雨は自分を潤し、お天道様の光を受け、ただ天に向かって成長するひたむきさ。大きくなるにつれて、しっかりと根を下ろす1本の木に成長する」(塩沼亮潤・大行満大阿闍梨) |
天を目指してひたむきに伸びていく途中の、さまざまな困難を解決する作業こそ私達の仕事だと思っています。
ー幸せの対極にあるものは何だと思いますか?
「幸せ」の対極にあるのは「孤独」と「孤立」です。協力・連帯・信頼の力で包まれるとき、ともに生きる恐怖を消し去る伴走者・仲間がいれば、人は幸せになれます。孤独が原因でうつ病になる人も少なくないのです。
バラバラの人間関係をうまくつなぐ、幸せに向かう良い流れを生み出す方法はないか、思いついたのが「神輿(みこし)」でした。
神輿(みこし)は、見ず知らずの人同士でも、身体を隙間なくぴたっと押しつけないと、担げません。他人の体温を感じながら神輿を担ぐと、この物理的接触によって全く知らなかった者同士に自然に気持ちが通じ会話がうまれ、親しくなる機会がうまれます。
北海道神宮の境内に開拓神社があり、日本最大級の巨大な神輿を発見しました。平成20年に「和っしょい北開道」という市民団体を立ち上げ、多くの若者が集まりました。
「北海道神宮末社開拓神社大神輿渡御(おおみこしとぎょ)」という祭で、日本最大級4.5トンの大神輿を神輿会のプロの指導を受けながらアマチュアの一般市民が力をあわせて、神宮から札幌市中心部の三越まで曳き、三越周辺で担いだ後、曳いて神宮まで帰るんです。まさに魂の入った神輿担ぎ。互いに押し合い、へしあい、笑いあう機会が生まれました。
人間社会も神輿と同じで、1人の力には限りがあります。神輿の担ぎ棒に肩を入れてみると、自分の非力さを全身で悟ります。他の担ぎ手の力を借りなければ、絶対に動かすことができない。自然に力を合わせざるをえない。1人では何もできないことを痛感するんです。
絶対不可能の世界を前にして、力を借りて神輿を担ぐとき、人間は自ずと正直、謙虚、誠実にならざるを得なくなります。神輿で若者に連帯の力を感じてもらえたら、「幸せ」な世の中に少しは近づくと思っています。
未来~100年間続く事務所を作る〜
ー最後に、村松さんが未来に残したいものはなんですか?
「100年間続く事務所」です。2023年は、私が弁護士になって46年、村松法律事務所を開設して40年になります。折り返しを迎える設立50年の年に、次の世代にバトンタッチしたいと考えています。
バトンを受けとる次世代は必ずいると信じています。
ー未来の世代にメッセージをお願いします。
ナイスと言葉に出して生きること。「ナイスは生きている」という本から拝借している言葉です。非行に走ってしまったり、いじめられたり、苦労や失敗があっても、それでも自分に「ナイス」と声をかけ、失敗をおそれず、仮に失敗しても、くじけず、挑戦し続けること。
君が握りしめている君だけの「一粒の種」は、ご先祖様からの贈り物です。そう考えると、一人の存在はすごく重いのです。
苦しい、イヤなことばかりの世の中でも、これも試練だ、困難に「難有」(ありがとうと呼ぶ)、と感謝して努力を忘れず生きる。
君の、種を手に握りしめて立っている姿はそれだけで美しい。
大地に落ちた種が芽をふき、根を張って天に向かって、まっすぐに、堂々と立っている存在の重さが、君の尊厳そのものなのです。
《村松法律事務所》
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