厚真に芽生える自然の力。梅原商店が残し続けたい風景。

執筆:田村優奈 写真:小林大起


ーーあなたが未来に残したいものは?

「吉野の風景を守りたい」

そう穏やかな笑顔で語るのは北海道厚真町で梅原商店を営む梅原さん。梅原商店では季節の花々と野菜の苗や種の他、野菜やスナック菓子、ハンドメイド雑貨などを販売しています。

店前に綺麗に並ぶ苗や野菜は商店のある街中ではなく、吉野地区で育てているそう。そこには梅原さんの幼少期の思い出のつまった祖母の家や畑もあったと語ります。

吉野地区とは、2018年の胆振東部地震で3km以上にわたって土砂崩れが集落を襲った大きな被害を受けたエリア。復旧後、吉野に住む人はいなくなりました。

そんな中今もなお、吉野地区で苗や野菜を育て続けているという梅原さん。その活動の背景に込められた思いとは。


目次

園芸の楽しさを知り、あらたに故郷へ

ーーまずは梅原さんのこれまでの経歴を簡単に教えてください。

出身はここ厚真町です。中学まで厚真で暮らして、高校は札幌へ。大学4年間は埼玉で過ごしました。その後就職で車関係の仕事に就いて、長野県に5年間住んでいました。実家を継ごうと戻ってきたのが14年前(2008年)です。

現在は厚真町本町にある梅原商店で園芸用品や吉野で育てた野菜の販売を行っています。

ーー厚真町からしばらく離れていたんですね。何か戻るきっかけがあったのですか?

僕が社会人になって少し経ったとき、父親が体調を崩してしまって2週間ぐらい店を手伝うことがあったんです。その時はまさか園芸を自分がやるとは思ってなかったので、知識も全くありませんでした。家族から聞いたことをメモしてからお客さんに説明するので精いっぱい。

でもお客さんとのやり取りや販売が想像以上に楽しかったんですよね。吉野に住む祖母の畑を見に行って収穫したりするのも、楽しいなと感じてました。

この時「継いでもいいかも」と思って、手伝いをした年の末に帰ることを決意しました。

ーー小さい頃からいつかは自分がお店を継ごうと考えていたんでしょうか?

昔は園芸店というより駄菓子屋みたいな感じだったんです。置いてるものもちっちゃいガムの箱や串カツみたいなお菓子がメインで、学生たちの溜まり場になってました(笑)

園芸に切り替わったのが、私が高校生になる頃でしたね。

当時はあまり継ぐとかは考えていなくて、昔祖母に「あんたそのうち店やってくれるのかい?」って言われて、「そのうちね」と返したような記憶があります。

ーー店内に並んでいるお菓子は駄菓子屋さんだった頃の名残だったんですね。建物の雰囲気は、この写真(昭和31年)の頃とだいぶ変わりましたね。

創業時は木工所の事務所だったと聞いたことがあります。約40年前に今の建物に建て替えて、2年前には、若い人も入りやすいようなお店にリフォームしました。

園芸がつなぐ人と人

ーー店内を見ているとお店の雰囲気や歴史を大切にされていることが伝わってきます。

お仕事のなかで大切にされていることはありますか?

大事にしてることは、やっぱり人との繋がりですね。お客さんを大事にするのは当たり前なことですが、いろいろな話をお客さんと共有できるのは田舎のいいところだと思っています。

新しい野菜の品種が出たら、自分の畑で試験的に育ててみて、良い出来だったらお客さんにおすすめしたり。かっこよくいえば実験農場みたいなことをしています。

2022年からは育てる量も増えてきたので、野菜販売もはじめました。お客さんが実際に食べて、美味しさを感じてもらうことで「来年は自分で植えてみようかな」と興味を持ってもらいたい狙いもあります。

逆に僕も、お客さんから野菜の新しい調理方法などを教えてもらうこともあります。園芸をきっかけにお客さん同士で情報交換しているところもよく見かけます。持ちつ持たれつの関係性がいいですよね。

お店が交流の場になっているのを見ると嬉しい気持ちになりますし、新しい知識を日々吸収できることが自分の強みにもなっていると感じますね。

ーー園芸が地域の交流のきっかけになっているんですね。梅原さんは町民向けの講習会をやられているという話も伺いました。

ガーデニング講習会は年2回行っています。6月末頃と12月初めに開催していて、夏は大きめの鉢に自分で好きな花を5、6株ほど選んで植えるワークショップ。冬は多肉植物でリースを作ってます。

お客さんから「ホームセンターでは植物の特性まで教えてもらえないことが多い」という話を聞いて、講習会では植物ごとの水のあげ方や適した環境などの特性を重点的に解説させてもらっています。厚真町民であれば誰でも参加できるので、もし時間があればぜひ参加してみてください。

ーー梅原さんにとって園芸の楽しさや難しさは何だと思いますか?

お客さんに作物の育て方について相談されることもあるんですが、一人一人育てている環境が違うとアドバイスする内容も変わってきます。育ってる様子を頭の中で想像しながら結論を出していかないといけない。生き物を相手にするのは難しいなぁと思いますね。

でも一対一でお話をして、お客さんに納得してもらえたときや「おかげで解決したよ!」と言ってもらえるときはすごく嬉しいです。

ーー作物を育てる上で大変なことはありますか?

お客さんにもっと多様な作物を提供できるように、毎年いろんな種類に挑戦しています。でも、作物は基本的に1シーズンに1度しか挑戦できないことが多いのでなかなか試験栽培も難しいです。

トマトなどの果菜類は1度植えたらその秋までですし、畑に肥料を蒔いて起こすのも春だけ。10年やっても10回しか実験できていないことになるので、まだまだこれからですね。

ーー年に一度の試行錯誤の経験が来年に繋がっていくんですね。梅原さんがシーズンのなかで一番楽しいと感じる季節はいつですか?

やっぱり春ですね。雪が溶けて暖かくなって「畑を起こせるぞ!」という気持ちになる。今年は苗作りもあったので仕事量は増えましたが、同時にやりがいも感じました。

自然を相手にすると毎回違う発見があるところが本当に面白いと思います。

後ろを向かず、前へ、未来へ

梅原商店の苗や野菜を育てるのは祖母の家があった吉野地区。震災直後には畑は全滅してしまったと言います。

それでも「後ろ向きな話ではなく、未来について考えたい」と語る梅原さんは、復旧後の今も吉野で作物を育てています。

ーー震災当時の状況と畑をはじめたきっかけを教えてください。

吉野地区では祖母の家の跡地で畑をしていましたが、震災直後に土砂で覆われてしまいました。そんな状況でも、当時育てていた大根や白菜がまだ残っていて「作物や畑の形はまだ残っている」と安心したことを覚えています。

地震から2年後に田んぼの農地を綺麗にしてもらえたので「とりあえず土地もあるし、また畑をやろう」という気持ちではじめました。

ーー当時の出来事や状況は衝撃的だったと思います。それでも地震の翌年に吉野地区で活動を再開された理由はありますか?

地震についてお話しすると、どうしても後ろ向きな話になってしまうことが多くなってしまいます。でも地震が起きていない過去に戻れるわけではないので、これからの未来のことを考えていきたいんです。

地震の後も悲しいことばかりではなく、義援金でハウスを建ててもらったり、付き合いのあった方からトラクターやビニールハウスを譲ってもらったり。人との繋がりや周りの支えがあって無事にここまでやってこれました。

もちろん当時の状況を思い出さないわけではないですが、吉野の土地は不思議と怖くない。吉野の畑に立つと何かエネルギーをもらうというか。逆に応援されているような気持ちになるんです。

吉野地区の道路脇の綺麗に並んで咲いているコスモスも、梅原さんが震災の翌年に蒔いたものだと言います。

ーー吉野地区のコスモス畑はいつ頃からはじめられたんですか?

地震の翌年ですね。震災後、たまたま土砂の中でコスモスが咲いているのを見つけて「種子を採って来年蒔いてみようか」と母と話したのが始まり。

復旧工事中で殺風景だった道路の周りや、自分の畑の周りに少しずつ植えていきました。

コスモスは放っておいても自然と増えていくんですが、綺麗に並んでいる方が好きなので、毎年全部刈り取って、もう一度土を起こして線を引いて種を蒔く作業をしています。真っすぐ蒔く方が草刈りがしやすいんです。

通りがかった人にも手入れをしたコスモス畑を見て「綺麗だな」と感じてもらいたいです。

大好きだったあの景色をもう一度

梅原さんの故郷厚真への想い、吉野への想いとは。

ーー厚真町の良さはどんなところにあると感じますか?

とにかく自然が豊かなところです。ここに住んでいるとキャンプに出掛けようとはあんまり思わない。昔は田んぼにもおたまじゃくしやゲンゴロウもいて、川でずっと遊んでいました。

あと、吉野地区からみる夜の星が本当に綺麗なんです。冬の新月の日は天の川が見えるくらい星が綺麗に見える。そこが好きなところですね。

ーー梅原さんが未来に残したいものはなんですか?

吉野の豊かな土地ですかね。

生まれ育ったのは厚真町本町ですが、思い入れがあるのは吉野なんです。吉野に住んでいたばあちゃんの畑の野菜を取りにいったり、秋には栗拾いしたり。大切な思い出が多い。

思い出の土地も地震後は整備された茶色い土地が広がっているだけになってしまいました。3年も経つともう草だらけ。復旧工事が行われ住む人がいなくなってしまったので、ある程度は人が管理しないと土地って荒れていってしまうんだと思いました。

自分の身体が動くうちは「吉野の土地を美しいまま未来へ残していきたい」という想いがあります。

「森林伐採は環境破壊なのか環境保全なのか」という議論で両方の専門家が話しているのを見かけます。でも実際に一度崩れた土地を見ていると自然と木はやっぱり生えてくる。だから人間が手をかけなくても自然は元に戻ってくると思うんです。でも放っておくと草むらになってしまうので、畑や人が住むところは管理していかないといけないなと。

吉野の畑にいると不思議と気持ちが落ち着きます。だから今の土地と風景を守りたい。本当は昔のなだらかな山と家が並んでいた頃の風景をもう一度みたいですが、もう全く同じ吉野は戻ってこない。何十年か後に、昔と似た吉野の風景を見れたらいいなと思います。


《梅原智哉(うめはら ともや)》

北海道厚真町出身。高校卒業後は、大学進学で埼玉へ。大学卒業後、長野にて車メーカー会社へ就職。2008年に厚真町へUターンし、梅原商店3代目代表として勤めている。

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この記事を書いた人

「拝啓、未来」編集長
想いをていねいに綴る。その人の“ありのまま”の言葉を大事にしています。

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