取材:柴田涼平 執筆:安達俊貴 写真:島崎貴裕
— 未来に残したいものは?
「子どもが子どもでいられる時間と場所」
そう語るのは、厚真町と苫小牧市で「森のようちえん」を中心とした取り組みを行うNPO法人「森のこころね」代表の松山道子さん。出身地である埼玉県から、小学校教諭として北海道に移住。結婚、出産を経て教員を退職し、「森のようちえん」を立ち上げます。
子育てでは「危ないからダメ」「汚れるからダメ」「ケンカしたらダメ」など、トラブルを避けるあまり、子どもの遊び方に大人が過度に制限をかけてしまうことはよくあること。しかし、「森のようちえん」では本当に危険な場合を除いて、大人は子どもの遊びに介入しません。子どもが五感で経験することを大切にしたいと考えた松山さんがたどり着いたのが、森のようちえんの活動でした。
「晴れた日は外に飛び出していくような田舎の小学校の先生」になるのが夢だったと語る松山さん。ご本人がつくる柔らかい空気感の中、松山さんが未来に繋げたい想いを伺いました。見えてきたのは、自分も、子どもも、周りの大人も、全ての人の「ありのまま」を大切にする心でした。
自然と触れ合い「好き」に出会う場づくりを
2022年の春から、「森のこころね」というNPO法人を立ち上げた松山さん。苫小牧市と厚真町の2拠点で、自然体験活動を提供しています。「自然の中で自分の好きなものに出会う」をコンセプトに、森の中で過ごすだけでなく、自分たちの暮らしと繋がるさまざまな体験活動を参加されるみなさんと一緒につくっています。
— 参加されているお子さまは、だいたい0歳から6歳までの、就学前の子が多いのですね。
そうですね。それぞれの事業によって様々な年齢層のお子さんが参加されています。特に幼少期の原体験が心の土台となって、これからの人生を支えてくれると思っているんです。子どもたちには、自然と触れ合うことで、好きなことや楽しいこと、夢中になれることに、たくさん出会ってほしい。
私も小さい頃、自然の中で過ごす中で「自分の心の根っこ」を育ててもらったと思っています。子どもの頃に作った泥だんごの感触や、早朝の森の香り、風を肩に受ける感触は、大人になった今でもありありと思い出せます。そのような原体験が、今の自分の感性に影響しているのを感じています。
— ご出身は埼玉の自然豊かな土地と伺いましたが、それも関係があると思われますか?
どうでしょうね。今の世の中、いろんな体験がありますけれど、五感を育む、感性を育てるという点では、自然の一部である私たちにとって、自然は切っても切れないもの、なくてはならないものです。自然に勝るものに出会っていません。
豊かな自然はもちろんですが、どんな場所であっても、私たちそれぞれが自然を身近に感じることはできると思います。今の自分の「好き」に繋がる何かしらの原体験を、誰もが持っていると思うんです。小さい頃につかんだ原体験はきっと、誰もが大人になった今に繋がっているんじゃないかと。
将来に繋がるかもしれないなにかに、子どもたちが今まさに出会っている。そんな瞬間に立ち会っているのかもしれないと思うと、とても感慨深いですよね。
足元の石ころと向き合う娘に向き合う
— 遊び方や友達との関わり方を子どもたちに任せて、大人は可能な限り見守るだけというスタンスも、子どもたちが積極的に「好き」に出会っていくことをサポートするという意味があるんでしょうか?
おっしゃるとおりです。大人は結果や出来栄えとか、「何を」体験したかを重視しがちです。ですが、今その子が何を感じているかに視点を向けると、見えてくる世界が全く変わってきます。何をしているかよりも、そのとき何を感じているかが大切だと、私は娘から教えてもらったんです。
— 娘さんから?
娘が5歳くらいの頃、ある自然体験のプログラムに連れて行ったことがあるんです。その日は特別なプログラムが用意され、魅力的なアクティビティが体験できるということで、車で2時間くらいかけて行ったんです。そんななかで、娘は1日中足元の石ころで遊んでいました。
— 石ころ、ですか?
はい、ただの石ころです。親としては2時間かけて連れてきたし、普段できない活動をしてほしいわけです。「こっちでは船に乗れるよ」とか、「あっちでは泥遊びができるよ」って言うんですけど、娘の興味はずっとその石ころでした。
ずっとその石をこすってみたり、磨いてみたり、話しかけてみたりとかしてて。結局アクティビティは遊ばずじまいでしたが、家に帰ってから娘が、「今日は最高に楽しかったな」って言ったんですよ。
— 素敵な感性をお持ちの娘さんですね。
この感性は娘だけじゃなくて、子どもみんなが持っているものだと思うんです。特別何かを準備してあげなくても、子どもたちは自分で自分の好きに出会う力を持っている。大人はそういった、最高に楽しかったって思える瞬間を積み重ねることをサポートするのがいいんじゃないかって。たまたま娘は石でしたけど、邪魔されずにとことんやりたいことに、子どもたちには出会ってほしいなと思います。
— 石ころと遊ぶ娘さんを見て、そのような気づきを得られる松山さんも素敵です。普通の親なら、「せっかくだからこっち行こうよ」って言って引っ張って行っちゃうかもしれません。
私もかなり誘いましたよ?(笑)
普段の事業や活動でも同じようなことがあります。例えば、田植え体験であれば、田植えをすることが1番の大きな目的です。だけど、子どもが興味を示すものって、おたまじゃくしかもしれないし、用水路を流れる水の感触かもしれない。子どもたちにとって、田植え体験を通して得られるものは、苗を植えて、お米が育つという成果だけに留まりません。体いっぱいに、心いっぱいに「田植え」をして、「その時」を味わっています。その瞬間に出会う宝物を大切に見守りたいと思っています。
子どもと大人が育ち合う森
— 松山さんが、五感や感性というものにこだわりを持っていることが見えてきました。
森の中で過ごしていると、一人ひとりが今の自分にぴったりなチャレンジを見つけることができます。ですが、自分のことをよく知り、理解できていないと、自分にぴったりなチャレンジを選べないんですよ。
ある男の子が帽子を投げたら、倒木に引っかかっちゃったんですよ。不安定な倒木の上をその子が歩いて、もうちょっとで帽子に届きそうになったときに、「今の僕では無理だ」って言ったんです。それを聞いたとき、すごくかっこいいと思ったんですよね。
— 無理だと言ったことが、かっこいいと?
自分の体の位置や身体能力、木の傾きやしなり具合、帽子までの距離感を、その子自身がいろいろ測って、総合的に無理だと判断したんです。その子が森の中でいろいろ経験したことで、危機管理能力や自分の体の状態を知って周囲の状況を把握する力が備わっている。その姿を見たときに、すごくかっこいいと思いました。
大人がその子のために取ってあげることは簡単です。周囲には保護者もたくさんいますし。でも、子どもが自らチャレンジを決断し、判断できることはとても大切。だからこそ五感を通してさまざまな経験を自分のものにすることが、これからの子どもたちの育ちにはものすごく大事なんだと信じています。
— なるほど。そのためには大人が忍耐強く見守ることが大切そうですね。
そうなんです。大人はこれまでの経験からたくさんの「〇〇しなければならない」「〇〇してはいけない」といった価値基準や枠組みを持っています。子どもたちの言動がそのラインや枠組みを超えたときには、心穏やかではいられなくなるものです。活動に参加するお母さん、お父さんそれぞれに多様な価値観やバックボーンをお持ちです。それぞれが無理なく、大人も自分の判断や決断がお互いに尊重される場でありたいと願っています。
— 活動を通して、大人も考え方がアップデートされていくんですね。
子どもと大人で共に育ち合うことも、大切にしている価値観です。実際のところ、この活動を続けてきて、私自身が常に育ててもらっているのを感じています。
社会は常に大きく変わり続けています。それに伴って、従来の教育観にも変化が生じてきました。人が育ち合う過程で、昔も今もこれからも大切にしていきたい価値観、そして今まで当たり前だった価値観を今一度振り返ってみること、どちらも必要なのだろうと感じています。
ー大人も子どもも育ち合うって素敵ですね。
活動を通して、大人も共に「育ち合うこと」を感じたエピソードなどありますか?
活動に参加しているお母さんの一人から、「私はいままで”すいませんおばさん”だった」という言葉をもらったことがあります。
— すいませんおばさん。
周りに迷惑をかけないように、トラブルが起きないように、失敗しないように。そうやってたくさん周囲に気を遣いながら、「すみません、すみません」と謝りながら、子育てしてきたそうです。それは言い換えると、「子どもが子どもらしくあることや、子育てという営みが周囲に迷惑をかける肩身の狭いもの」ということ。子育てしていれば、大なり小なり経験することだと思います。
今の日本の人口は、子ども1人に対して大人が7人の割合だそうです。今後もこのままだと大人の割合がどんどん増えていきそうです。気を付けていかないと、大人の当たり前が、社会の当たり前となり、子どもが子どもらしくいられる時間や場所、子育てしていく環境が、ますます大人の価値観でいっぱいになってしまいかねません。
「子どもが子どもらしく在る」ことを大切に感じられるお父さん、お母さんが増えること、みんなで子育ての苦労や喜びを共有できることは大きな喜びで、活動にやりがいを感じますね。
人と地域がつながる、身近な厚真の暮らし
— 厚真町に移住されたのが2017年。松山さん自身の暮らしに関してはいかがでしょう?
自分の暮らしと自然がより近くなったらいいなという想いで、厚真に引っ越してきました。その想いは、たくさん叶えてもらえていると感じます。冬を越すために薪を割ったり、畑を借りて、自分の食べるものを育ててみたり。自分が作ったものではなくても、自分とつながりのある方が作っているものが食卓に並んだり、厚真の土地で作られたものが食卓に並ぶことが、私にはすごく嬉しいことです。
— ご自身で育てたものや、つながりのある方から購入したものを食べることで、松山さん自身にどのような影響がありましたか?
やっぱり安心感が違いますね。自分の知っている人や、厚真という地域そのものが、より身近に自分の暮らしとつながっていることの喜びを常に感じられます。子どもたちも美味しいといって食べてくれますし。
— 今後、厚真町で暮らしていく中で、さらに取り入れていきたいことはありますか?
魅力的な方がとても多い町なので、人との繋がりをさらに深めていきたいです。取り組んでいることが違っても、厚真町のことを大切に思う気持ちや、まちづくりに貢献したいという想いは、共有できると思います。そんな方々と繋がりながら活動を続けていけたらいいなと思っています。
これまでは親子を対象にした事業を主にしてきましたが、昨年度、「大人の森のようちえん」のような企画をさせていただく機会に恵まれて、とても楽しく過ごすことができました。子どもに関わらず、人と森を繋ぐことを幅広くできたら面白いなと思っています。
— 大人版ですか。子ども版とどのような違いがあるのですか?
それが、特に何も変えなかったんです。子どもたちが普段やっていることを、地域の大人の方々にも体験していただいたのですが、参加された皆さんがとても楽しんでくださって。皆さんの表情がとても生き生きとされていて、感想などを言葉にしてフィードバックして頂けたとき、大人こそ、自然と触れ合い、童心に帰る時間が必要かもしれないと思いました。
— 大人になって体験すると、見守り方も変わりそうですね。
大人になると、子どもたちのチャレンジに対して、心配の気持ちからブレーキをかけたくなる心情が働くと思うのですが、私たちもこれまで挑戦や小さな冒険を積み重ねてきたはずなんです。
池の薄氷が割れないようにどこまで歩けるかな、どのぐらいの高さの枝なら飛び降りられるかな。そんなどきどきわくわくの好奇心や冒険の心を、大人にもう一度取り戻したい。そうすれば、子どもの頃のようには木に登れなくなっても、風を切って山坂を走り抜けられなくなっても、目の前の子どもたちの冒険に共感しながら見守ることができるんじゃないでしょうか。
「生まれてよかった」と思える体験を
— 「森のようちえん」から派生して、いろんな世代がつながる活動に広がっていきそうですね。
はい。事業としては今は幼児期に重きを置いていますが、多世代が集える場所にしていきたいですね。子育て世代がさらに先輩世代に相談できたりとか、子育て前のご夫婦や、マタニティーのお母さんが赤ちゃんや小さい子と触れ合うことができたりとか。
私自身にも思い当たる節がありますが、毎日のエンドレスの家事、さらには子どもが小さければ慢性的な寝不足、出産を通して母になった瞬間から、「お母さん」の休日はありません。お母さん自身が一人の「わたし」に還る瞬間がなくなって、心の余裕を失ってしまうことってあるんです。
だからこそ、〇〇ちゃんのお母さんとしてだけでなく、一人の人として出会いたい、関わり合いたい、という願いから、お母さん同士、お父さん同士、スタッフも本人が呼ばれたい名前で呼び合うようにしています。
— 友人として励まし合うような関係性ですね。
我が子をすぐそばに感じながら子育てする期間は、無限に続くわけではありません。ですが、一番大変なときに「大丈夫。いつだってみんなが側にいるから、一緒に子育てしていこう」と感じられるような、親子にとっての心の居場所、心の拠り所となるような、そんなコミュニティを目指しています。
— ここまで伺ってきて、松山さんが人の表層ではなく、根底にあるものを大切にしようという想いを持っていることが伝わってきます。
小学校の教員だった頃から今の活動を続けてきた中で、本当にたくさんの子どもたちとの出会いがありました。子どもたちの姿、言動からいつも大きな気づきと学びをもらいました。一人ひとりにそれぞれ見ている世界があり、感じ方があり、感情がある。側にいる大人として、そこをどれだけ理解しようと想いを馳せられるか、その大切さを痛感してきました。
子どもたちはまだ力加減が上手ではないので、飲み物をこぼしてしまったりとか、ドアをバーンっと閉めちゃったりしますよね。私たちも子どもの頃にそういう経験があるはず。大人になるにつれて力加減ができるようになってしまったので、「なぜできないのか」を忘れてしまっています。
子どもたちは大人を困らせるためにそういう行動をしているわけではなくて、その子の脳の状態に従ってやってるんだっていうこと。お母さんが1人の人であるのと同じように、子どもも子どもである前に1人の人であることを、忘れずにいたいですね。
子どもたちは本来一人のこらず、「昨日より、今日。今日より明日。成長する自分でありたい」と願っています。教えられること、諭されること以上に、今の「ありのまま」を受け止めてもらえてはじめて、子どもたち自身が願いを叶える一歩を踏み出せることも感じてきたんです。自ら育つとはこういうことだと、大人としての自分の在り方を問われ続けています。
— 親であるからこそ、自分の子どもに対して冷静でいられず、叱ってしまうこともあると思います。そんなときも、松山さんの活動指針がとても助けになる気がします。
我が子を愛するがゆえに、親はいつだって大なり小なり迷いや心配、葛藤が生まれるものです。だってそれが親というものですから。そんなときにこそ、私たちの活動やコミュニティが支えになればと思います。「見守る」という私たちの活動の願いも、お互いの信頼関係があってこそ。また、「自分の好きなことをする」を大切にすることと、「自分の好き勝手にする」とでは全く意味が違います。
私たちの活動が大切にしている想いに誤解が生まれないように、必要に応じて説明会やお話会を開いています。参加して下さる皆さんとの対話を大切に繰り返しながら、それぞれが安心して参加できる場をつくっていけるように心がけたいと思っています。
— 最後に、これからの未来で育っていく、子どもたちへの想いを聞かせてください。
子どもたちには、自分のことを大切に感じながら、自分を好きでいてほしい。自分が自分に生まれてきてよかったと感じていてほしい。それがこれから先の人生を生きていく土台となると思うから。
娘が中学1年生になったときのことですが、活動のお話会の準備をしている際に、私がなぜこの活動をしているのか、どんな話をするのか興味を持ってくれたんです。その資料をみた際に、娘が「お母さん、私は私に生まれてきて本当によかった、って思ってるよ」って伝えてくれたんです。それを聞いて嬉しくて涙が溢れてしまいました。
— それは嬉しいですね。報われるというか。
何かができるとか、何かが上手、得意であるとかも、もちろんとっても素敵なこと。ですが、そのまんまの自分を無条件に大切に想える気持ちが、これからの娘の人生を支えてくれたら、親としてこんなに嬉しいことはありません。思春期を迎えた娘がそのように伝えてくれたことは、大きな力をもらえましたね。
私自身、初めから子育て順風満帆だなんて、決して言えません。子育てはとっても幸せなことである一方、ときには自分の嫌なところに、これでもかと向き合わされる辛さもまた伴うものです。そんなときこそ、大人もまた自分の嫌なところを責め続けるのではなく、これまでの自分も、今を懸命に生きている自分も心の中で大切に抱きしめながら、自分を認めていけたらと思うんです。
子どもも大人も「私に生まれてよかった」と思えたら。これからも森のこころねはそんな場を創っていきたいと思います。
《松山 道子(まつやま みちこ)》
埼玉県出身。元小学校教諭。北海道厚真町・苫小牧市にて子どもも大人もありのままに心の根っこが育つ場所づくりとして、親子のようちえん、放課後事業、プレーパーク、日常型森のこころねようちえん(認可外保育施設)を運営。