憧れのふるさとを、新たな場所で。新規就農、厚真で育む米と縁

取材:三川璃子 執筆:安達俊貴 写真:島崎貴裕

— あなたが未来に残したいものは?

「失われた、憧れのふるさと」

そう語るのは、厚真町に移住して米農家を営む岡嶋 修司(おかじま しゅうじ)さん。

愛知県出身で、地域おこし協力隊の農業支援員として、北海道厚真町に移住してきました。

一般に、米や麦、大豆などは、土地利用型の農業と言われ、新規就農するにはハードルが高いとされています。面積あたりの収益が小さく、経営するには広い農場と大型機械が必要となるため、初期投資が大きくなる傾向にあることが、理由の1つに挙げられます。

そんなハードルがある米作りに挑んだ岡嶋さん。その背景には、生まれ故郷から失われていく田園風景や、文化に対する想いがありました。

穏やかな語り口の中にも、強くてしなやかな芯が通っているような岡嶋さん。米作りと、地域づくり。岡嶋さんが見据える未来を伺いました。

目次

ふるさとの田園風景を、厚真に重ねて

— ご出身は愛知県なんですね。岡嶋さんが生まれ育った町について教えてください。

かなり田舎の地域でした。家の周りや通学路が田んぼに囲まれていて、古き良き日本の原風景、といった感じでした。

でも都市化が進んでしまい、田んぼだったところが住宅街になったり、高速道路が通ったりしていて。発展することももちろん良いことですが、子どもの頃に友達と一緒に遊んでいた田園風景がなくなってしまい、少し寂しく感じていたんです。

そんなときに偶然厚真に立ち寄ったのですが、厚真の風景がとても懐かしく思えたんです。厚真の豊丘という地区で、田んぼが広がっていて、秋にはお祭りがあるんです。太鼓を叩いて、笛を吹いて、みんなでしめ縄を編んだりして、子ども時代に自分が過ごしていたような風景にそっくりで、なんだか心の安らぎを感じました。

— そうだったんですね。どういった経緯で厚真に?

もともと牧場関係の仕事をしていました。若い頃から、北海道に限らず日本全国を転々としており、1つの牧場で数年働いたら、また次の牧場へ、という生活でした。

生き物は全般的に好きでしたが、牧場では主に馬の世話をしていました。北海道ですと、厚真町も馬がたくさんいますよね。そういった繋がりで、厚真にたどり着きました。

来てみたら故郷との共通点がたくさんありましたから、この土地で農業をやりたいという気持ちが芽生えました。

縁が結ぶ、米農家への挑戦

地域おこし協力隊としての農業研修

— 知らない土地での新規就農はハードルが高そうですね。どのように始められたのですか?

厚真町には、地域おこし協力隊になって農業研修を受けられる仕組みがあるんです。私もそれを利用して2年間学ばせてもらいました。

1年目は、町内のいろいろな農家さんのところに行って、お手伝いをします。このときはまだ自分が作る作物を決めずにまんべんなく勉強します。

2年目は、1つの農家さんについて集中的に研修を受けました。3年目では協力隊ではなく、本当に自分がやりたいことを実践的に研修する、といった流れでした。研修とはいえ、生活の流れは完全に農家でしたね。

— そうなんですね。一番大変だったことは?

やっぱり自分を知ってもらい、安心感を持ってもらうこと。町の中では新参者ですし、農家同士助け合う部分もありますから、自分を認知してもらい、繋がりを築くのはとても大切で、最も難しいところですね。

そういう面もあるので、協力隊1年目にいろいろな農家さんを紹介していただける仕組みはとても助かりましたね。

— 米作りを志したのはいつ頃でしょうか?

農業研修の3年目になる頃ですね。それまで農業の勉強を続ける中で土地利用型の米を作りたいという気持ちが日に日に強くなっていきました。

豊丘にはみらいファームという米農家が結成した団体があります。その当時だと5〜6軒ほど。元々は地域の農地を維持したり、農業者を育成するために立ち上がった団体です。

米作りの大先輩たちのいろんな話を聞きながら、この地区にあったやり方を教えていただきました。

— 団体の皆さんでお互い助け合って活動しているんですね。

共同作業はすごく多いですね。みらいファームでは設立当初から、みんなの分をみんなでやるようにしているそうで。お昼ごはんは全員の分を作り、子どもたちの面倒もみんなでみて、朝から晩まで作業するといった感じです。

作業の合間に世間話や、昔の話を聞いたりすることが楽しみの1つではありますね。繁忙期などは1分1秒がもったいないと感じることもありますが、そうやって立ち止まってみることも大切なんじゃないかな、と。

新米農家として

— 農家として独立した頃は、やっぱり苦労も多かったのでは?

大変でしたが、周囲の人たちのおかげでなんとか頑張れた、その一言に尽きますね。独り立ちして初めて収穫したときは、機材も何もなかったんです。乾燥機がありませんから天日で干して、脱穀機もないので近くの農家さんに頭を下げてお借りしたり。

なんとか食べられる状態になったものを、お世話になった人たちにおすそ分けしに行ったんです。そのとき、「ありがとう」「頑張ったね」と声をかけていただけたことが、いちばん嬉しかったですね。大変でしたけど、周囲の人たちに助けられているなと実感しました。

— 米作りを始めとして、土地利用型の農業は初期投資が大きいため、新規参入が難しいと聞きます。そのあたりの難しさはいかがでしたか?

一般的には、新規就農でお米や麦、大豆など、広い土地と設備が必要な農業をやりたいと思うと、ハードルが高いなどという理由で、推奨されないことが多いと思います。でも、実際にやってみると、さほど大変には感じなかったんです。

流れの中で取り組んだことが、自然と良い結果になることが多かったのですが、地域の縁に囲まれながら米作りを始めたことが大きいと思います。周囲の方々が、「この時期だと〇〇のことで困るだろう」と先回りして助けてくれたり。逆に人と話をする中で、周りの人が困っていることに気づくことができて、こちらが手助けできたりもします。

人との出会いや、会話したことを大切にしていると、結果として良い方向に進みましたね。ちょっとうまく行き過ぎな気もしますが。ハードルは高いけど、やりようはあるので、新規就農で土地利用型の農業を推奨できないというのは、もったいないなと感じますね。

— 別の方からもお話を聞いたのですが、「岡嶋さんの人柄だからこそ、ここまでたどり着いたんだと思う」ということをおっしゃっていました。

ありがたい話です。タイミングと人の縁に恵まれましたね。

地域に目を向けると厚真町で農家が減ったり、会社が減ったりするのを抑えるには、大きな組織が1つボンッとあるだけでは、これからの時代は足りないと思います。人や農家といった、小さな単位の組織が集合して、それぞれが各々の役割で町を支えていくのがいいんじゃないかなと。

憧れのふるさとを、新たな場所で

— 岡嶋さんが未来に残していきたいことを教えていただけますか?

やっぱり、昔ながらの伝統的な暮らしですね。私の地元のように、古き良きものが消えていってしまうことは絶対にありますよね。変化を続ける世の中にあって、少し立ち止まって、昔から住んでいる人たちの話を聞いたり、それをまた自分の子どもや、次の世代に伝えていったり。

新しいものを作ることはもちろん大切です。でもその際に、古いものを継承してこそ、その土地ならではの新しい文化ができていくと思うんです。再開発して人口が増えても、ただのニュータウンが増えるだけでは、地域として強くはありませんから。

— 岡嶋さんの幼少期の原体験が生きているんですね。

私は愛知県からここに来て、そこにかつてあった故郷をここに再現しようとしています。再現とは言っても、もうすでに厚真には神社のお祭りや、農家さんの繋がりなどがしっかり残っています。自分の役割は、今ここにある大切なもの、自然と文化を残していくことだと思っています。

新しい場所で新しいふるさとを。これからも新しい人が移住してくると思いますが、その気持を伝えていきたいです。


《岡嶋修司(おかじましゅうじ)》

愛知県出身。道内外の牧場での仕事を経て、平成24年に厚真町へ移住。水稲農家を目指し、地域おこし協力隊農業支援員として3年間就任。その後、厚真町豊丘の水稲農家に。

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この記事を書いた人

フリーのライター兼エンジニア兼ヨガ講師。
接しやすい文章を書きます。

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