変わらない厚真で、人と人の想いを紡いでいく

取材:柴田涼平 執筆:川又杏菜 写真:三川璃子


ーーーあなたが未来に残したいものは?

「一番残したいものは、豊かで幸せな地球です」

そう答えてくれたのは、北海道厚真町上厚真地区で地域交流拠点としてtacooカフェ、住民団体つむぎを運営する村上朋子さんです。

住民団体つむぎでは、ストレッチやヨガを通した高齢者の方向けの健康づくりのサポート、まちのマルシェを一緒に企画するなど、それぞれのやりたいを形にするようなコミュニティの運営をしています。

北海道の江別市で生まれ育ち、看護師としてお仕事をしていた村上さんが厚真町に出会い、「コミュニティ」を大切にしている背景とは。村上さんが見る厚真町の暮らしと、思い描く厚真町のこれからをお話ししていただきました。

目次

オーストラリアの生活を経て、たどり着いた厚真の暮らし

ーー村上さんのこれまでの経歴を簡単に教えてください

北海道の江別市で生まれ育って、看護学校に入り、卒業後は学校の付属病院の精神科の看護師として働いていました。

その後、看護師で疲れきっていたタイミングで今の夫さんと出会い、沖縄でダイビングの資格を取得。

自分の好きな英語を活かしたいと思っていたのでワーキングホリデーで一緒にオーストラリアに行くことに。

ワーホリ後も一度日本に戻ったんですが、どうしてもオーストラリアが恋しくなっちゃって。

夫の履歴書を勝手にオーストラリアの会社に送って、オーストラリアに戻り、永住権もとりました。

ーーすごい行動力です!でも、その後北海道に戻ることになったんですね。

日本に母を一人残すのが心配になって。夫にお願いして北海道に戻ることにしました。

私のわがままを聞いて戻ってきたので、日本でも夫の好きなことができる暮らしがしたいと思って。サーフィンも好きだったし、北海道でサーフショップができる場所を探して、たどり着いたのが厚真町でした。

ーー移住先に厚真町を選んだ決め手は何だったのですか?

北海道内を回っていたとき、厚真町のちょうど町境に入ったところにあるお馬さんの光景と、田畑を通った雰囲気がすごくオーストラリアの大好きな街に似てて。

夫と二人で「もうここだね!」って顔見合わせて即決でした。当初はサーフショップと着物リメイク工房を一緒にやっていたんですけど、今はサーフショップの隣はカフェスペースとして運営しています。

ーー着物リメイク工房から、現在のカフェへ転向したのは?

やっぱり人生において「健康」が大事だなと思ったからですね。もっとみんなが生き生きと楽しく暮らせる場を作りたくて。

カフェでもただ食事をするだけのカフェではなく、人と人とが繋がる場所。コミュニティに溶け込む場所。地域交流拠点機能をもつカフェとして再スタートしました。

素の自分になって見れた「コミュニティ」の大切さ

厚真町移住後もこれまでの経験を活かし、地域包括支援センターで看護師やケアマネージャーとして高齢者の方々をサポートする仕事をしていた村上さん。福祉の仕事で町の人々と関わりながら過ごす中で、「コミュニティ」の重要さに気づいたといいます。

看護学校卒業後に働いた精神科では病気だけでなく、「人を見る」ことを大切にしてきました。厚真町に来たときも同じです。ケアマネージャーとして高齢者の方に関わりながら、人をずっと見てきました。

ーー村上さんが「人を見る」を大切にしているのには、何かきっかけがあったのでしょうか?

幼少期の「あこがれの男の子」がきっかけです。

保育園のときからずっと憧れていた男の子が、小学校3年生になったときに突然学校に来なくなったんです。当時すごく心配で、毎日毎日彼の家の周りをぐるぐるして、声をかけたりしていました。

ある日、ふとその子が助けを呼んで外を覗いている気がして、勇気を出して鍵もついていない家の中に入ったんです。

入ったときのあの光景は今でも忘れません。中は悲惨な状況で、男の子がそこで一人ぽつんとうずくまって泣いていました。

とっさに「大丈夫だから」と声をかけて、先生に相談しました。その後のことはよく知らないですが、ある日その子が上下揃ったジャージを着て、元気に登校してきたんです。

声はかけなかったけど、彼の姿を見てすごく嬉しくなったことを覚えてます。

この体験があるから、今でも「人」を見ることを心がけたり、気にしたりしてるんだと思います。

ーー厚真でも同様に村上さんが「人」を見守りつづけたからこそ、今の活動につながっているんだと思いました。

「住民団体つむぎ」を立ち上げ、コミュニティ活動をしたいと思われた背景には何があったのでしょうか?

ずっと前から、高齢の方がこの町で楽しく暮らし続けるには「コミュニティ」があった方がいいと思ったんです。

でも、社会福祉の仕事では個々人のケアや支援に追われてしまってコミュニティにまでは手がまわりませんでした。

そんな時、平成30年に胆振東部地震が起きて、災害ボランティアとして厚真町をぐるぐる回っていろんな人たちと出会う機会がありました。

災害で「人とのつながり」が希薄になってしまった人。地震によって引っ越しを余儀なくされた人。そんな悩みを抱えた人たちが集まって、コミュニティが生まれていったんです。

同時に厚真町に元々あったコミュニティの力だけでは、今後の未来、安心して暮らせるのは厳しいと感じました。

人も厚真の資源も、自然や作物も、災害のおかげで知ることができた。

誰とどこで誰にどう繋がれるのか、自分はどういうアクションができるのか。やっぱり住民側のコーディネーターは必要だ!と明確に思ったので、仕事を辞めて今の活動をしています。

ーーコミュニティに関わるなかで大事にしていることは?

1人1人を尊重して、自分のものさしでみないこと。仕事として支援者という立場にいたときは、自分の中で勝手にバイアスがかかっていて組織という看板が邪魔していたと思います。

1人の「村上朋子」になって町のみなさんと横並びになったとき、町民のみなさんが持つ「力」と志がとても高いことがわかりました。

自分のものさしでみないで、相手の立場から物事を見れるように、多角的に物事をみるっていうのは大切にしています。

組織の一人ではなく、素の自分になったからこそ、見えたものがたくさんありました。

変わらない厚真に、加わったワクワク

厚真町に来て14年を過ごした村上さんに、厚真の暮らしもうかがいます。

ーー14年の暮らしで最初に来た時と、今暮らしている中での違いはありますか。

山と田畑と海がある。サーフィンが身近にあって、人の暮らしに密接に繋がっている。

心が満たされる風景が日常の中に存在しているのが、すごく心地よくて、それは14年経っても色あせることなく変わらない。

唯一加わったのは、厚真町民と、厚真町に出会った人たちと、新しくいろんな思いを持って加わってきた人と、たくさんある資源のなかで何かできないかということ。

ワクワク感があるから、さらに楽しみが加わった。けど最初に抱いたほっこり感がずっと続いているの。

震災はあったけれど、ちゃんと再生される喜びを感じているから厚真は変わらず、居心地がいいです。

ーー厚真に移住される前から明確にこういう暮らしがしたいっていうのがあったんですか。

ありました。ただ、14年前は漠然としていた。

今はたどり着けそうな感じがしていて、厚真に地域交流拠点機能のカフェを作ったらいろんな出会いの掛け算が生まれて、また新しい何かが生まれそうなワクワク感がある。

カフェには、外部の人だけでなく、地元の人も関わってきてくれるようになりましたね。

住んでいる人と外から来た人が繋がり始めているのが私の元気の源です。

コミュニティを残したい、その先にあるもの

ーー人と人とをつなげる仕事、「コミュニティ」を運営する原動力とは?

コミュニティの存在が「自分ごと」になっているから、今動けているんだと思います。

自分が20年後、「このコミュニティで安心して暮らしたい」っていうのが軸にあるから活動できている。

「人のため」だけだとやっぱり続かないと思うんです。「こんなにやってるのに」って感情が自分を殺してしまう。だから自分軸っていう視点も必要だなと思っています。

以前自分も病気をしたことがあって、健康がどれだけ大事かも知っています。だから、自分のため、健康のため、という視点がもてる。

ーー今後の構想や想像されていることは?

全ての人が「自分らしく」暮らせるまちづくりがしたいと思っています。暮らしとコミュニティは絶対に切り離せません。

暮らしにはまちの産業、福祉、教育がある。そしてコミュニティがその中で循環していけるような活動を今描いています。

今のカフェだけじゃ少しスペースが足りないと感じていて。セントラルキッチンをもった建物で、扶養の範囲内で働けたり、遠くに通えない方が作業できたり柔軟に働ける職業形態がもてるような場所がほしいと思っています。

厚真でこだわってい作っているお野菜を加工して販売ルートを作ったり、いくらでもやれることがたくさん思い浮かぶんです。

どんな人でも使える、働ける、楽しめる場所をつくりたい。「住民との繋ぎ役は私がやるから」って、よくここに集まる人と語ってます。

ーー活動を通して、未来に残していきたいものはありますか?

形あるものは、いつか風化して壊れていくけれど、形に関係なく、居場所作りは時代背景に合わせて柔軟に残していけるもの。

だからこそ、「どんな人でもそこにいていいんだよ!」っていうコミュニティを残していきたい。

コミュニティの先に残したいものは、「地球」とずっと前から言ってるんです。

緑があって幸せな地球。

私たちは地球を壊しちゃいけない。1人1人が自分らしく生きて暮らしていけば、地球は残ってくれると思う。

大それたことはできないけど、地球を守りながら一人一人を大切にしたコミュニティづくりをしたい。私にできることを、これからもしていくだけです。


《村上朋子(むらかみともこ)》

北海道江別町出身。看護師やオーストラリアでの医療通訳の仕事を経て、2008年に厚真町へ移住し、上厚真地区でtacooカフェを運営。これまでの経験を活かし、人と人をつむぐことを意味する、任意団体つむぎを立ち上げ、運営をしている。

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この記事を書いた人

「拝啓、未来」編集長
想いをていねいに綴る。その人の“ありのまま”の言葉を大事にしています。

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