取材:柴田涼平 執筆:谷郁果 写真:古川朋香
ーーあなたが未来に残したいものは?
「まちの人みんなが音楽を楽しめるような、そんな場所」
この想いを次の世代や、地域全体に伝えていきたい。そう語るのは、電子音楽ユニット「木箱」を中心に活動するSAyAさんです。
2004年に札幌で結成した電子音楽ユニット「木箱」。SAyAさんは作詞と作曲を手がけ、ボーカルとシンセサイザーを担当。メジャーデビューの経験もあり現在までに6枚のアルバムを発表、さらには楽曲提供や他アーティストとのコラボなど幅広く活動中。
SAyAさんが自然豊かな暮らしを求めた先に出会った、栗山町。「神秘的で美しい、自然が溢れている」と語るSAyAさんは、このまちでどんな音を奏でているのでしょうか。
移住して出会った、ワクワクとキラキラがつまった新たな世界
ーーSAyAさんは、移住される前は札幌を拠点とされていましたよね。
生まれてからずっと、札幌から出たことがなかったんですよね。音楽を仕事にし始めて、ライブで道内各地に行くことが多くなりました。もともと自然がすごく好きだったのもあり、道内各地を回る中で、自然と一緒に暮らしてみたいという思いが強くなったんです。
栗山町を訪れたときに、自然の強さを感じました。栗農家さんの森に生い茂る木を見たときには衝撃でしたね。北海道なのに、ヨーロッパのようなすごく素敵な風景だったんです。
ーー移住を検討される前から、栗山町とのつながりがあったんですね。
移住を考えたのは、コロナがきっかけでした。ライブが出来なくなっちゃって。家でゆっくりしているときに、自分の暮らしについてじっくりと考えてみたんです。
ちょうど、栗山町で地域おこし協力隊を募集していることを知りました。さらに目についたのは情報発信プランナーの募集。私自身、自分の好きなものを人に伝えることとか、発信することが好きな性格なので、これはなにか活かせるかもしれないって。
札幌から拠点を移すこと自体初めてでしたが、えいや!と飛び込んでみたら、あたたかく受け入れてもらえたのは嬉しかったです。地域おこし協力隊で町にやってきてすぐですが、ありがたいことに町のイベントでも歌わせてもらったりしています。
ーーSAyAさんにとって、栗山町への移住は大きな転機だったと思いますか?
そうですね。札幌から移住するときに「都会から地方に行くと、よそもの扱いされることもあるよ」と言われたこともありましたが、なぜだか栗山への移住に正直不安はあまりなかったんです。幸いにも、まちの皆さんがとても親切で感謝しています。
そのおかげもあって穏やかに暮らすことができていますし、地域のお仕事に関わることで
今までの世界とは違った新しい価値観も身につきました。音楽活動にもプラスになっていると感じています。
ーー栗山町の暮らしの印象はどうですか?イメージしていたものでしたか?
今まで暮らしていた札幌とは別世界です。今の自分には栗山での暮らしが合っていると思います。毎日自然の豊かさを感じられることが心地よいですね。今年の夏は蛍をみれたことが嬉しかったです。
自然も好きなんですけど、生き物も好きで。家でカナヘビを飼っているんです。栗山にいると、家の周りにも様々な生き物が日常的にいるんですよね。せみの羽化の瞬間も見ることもできましたし、野生のカブトムシも見ましたよ。神秘的で美しくて、日々感動しています。
栗山町御大師山
栗山と私のありのままを音楽に
ーー音楽活動の形も、移住をきっかけに変わりましたか。
変わっていないです。でも、同じことをしていても、印象は全く違います。栗山町での音楽の活動は、まちおこしに直接つながる。町長がライブに来てくれたりもするんですよ。
地域の人たちとどんどん繋がっていく。ちょっとしたことでもまちおこしに関われる。不思議だなと思いながらも、面白いです。
とは言っても、怖くもあります。まちおこしに関わる責任を勝手ながらに感じている部分もありますね。
ーーSAyAさんは作詞作曲もされていますが、楽曲づくりでの変化はありましたか。
私たちの音楽ユニット「木箱」の曲は、しっとりした曲が多いのですが、栗山町の夏祭りにお声かけいただいたとき、「みんなで楽しめる曲を作りたい」って思ったんですよね。
今まではあまりポップな曲をつくる気持ちにあまりならなかったんです。でも、自然と楽しい曲をつくりたいって思うようになって。栗山町に来て、何か変わったのかも。等身大で、ありのままに感じたものを、素直に出せるようになりました。
音楽をつくる場所も大切だと思っています。このまちの空気感もきっと、録音に含まれてくる。空気とか、温度とか、全部含めて、栗山町での曲ができていくんです。
描くように音を楽しむ
ーーSAyAさんが、創作活動をしているときに大切にしていることは。
自分の感性や感覚、直感は大切にしていますね。つくりたい音楽が頭の中に映像として浮かび上がってくるんです。そこから音を入れて、メロディーをつくって、段々と音楽になっていく。その過程が楽しい。自分の中にあるイメージと、出来上がっていく音楽が一致したときは笑顔になってしまいますね。
でも、やっぱり苦しいときもありますよ。プロ意識を持って、中途半端なものは絶対に出したくないという思いは常にあります。
ーーSAyAさんは音楽を楽しんでいるという印象が強いのですが?
私にとって音楽は遊び(趣味)でもあります。小さいころから音楽が身近にありました。家に録音機能のあるラジカセがあったんです。リコーダーのメロディーと空き缶のリズムを録音して、重ねて音楽にする。そんな遊びをしていました。
今でもその感覚は変わらず、絵を描くように音楽をつくっていますね。
ーーSAyAさんの発想は豊かだなと思いますが、なにか意識していることがあったりしますか?
基本的に、好奇心旺盛なんです。虫でもなんでも、興味をもって向き合ってみたくなっちゃうんです。嫌いかもと避けるのは、なんだか損しているかもって。興味っていうのが、音に影響するんじゃないかなと。
ーー興味をもって新しいことにトライすることで、何か得ているものはありますか。
移住する前も今も、いろいろなことに挑戦してきました。それが大変だったかっていうと、今は「そんなことないな」って思います。例え失敗しても、自分の経験値としてポジティブにとらえるように意識しています。
忘れっぽい性格というのもあるかもしれませんが、大変だったことも時間がたつとそれも良い思い出に変換されてしまうことも多いです。
日々の中では、もちろん浮き沈みもあるけれど、基本的には立ち止まりたくない。遅くてもいいから、歩みを止めたくない。立ち止まってしまうと、自分自身がなんだか駄目になってしまいそうで。
栗山町に来ても、それは変わらないです。良い音楽を作って、みんなに楽しんでもらったり癒されてもらったりしたい。それくらいしかできないから、そこは本気でやっていきたいって思っています。
音楽のパワーは無限大!
ーー栗山町の課題と、これからの未来について、聞かせてください。
課題なんて、そんな私が言えることはないです。私は、シンプルに、音楽家として音楽を普及させていきたい。まちの人が音楽に触れる機会を増やしていきたいですね。
音楽のパワーってすごいんです。疲れていても、ヘッドフォンで音楽を聞いたら、その世界に飛んでいけるような気がしませんか。それってまるで「魔法」みたいで。
音楽の力を信じて、まちの人も音楽で元気になったらいいなと思います。
ーー栗山町のフェスでも、SAyAさんの音楽で盛り上がりましたね。
フェスのような大きなイベントも楽しいですよね。これからも楽しめる音楽をつくりたいと思いつつ、子どもに焦点も当ててみたいなって。
雨煙別フェスの様子(写真:SAyAさん)
図書館のイベントで、絵本に合わせた曲をつくってみたりとか。即興でも楽しそう。その場その場にあった音楽のカタチで、地域の人とつながれるのが今からすごく楽しみです。
ーー改めて、SAyAさんが未来に残したいものを教えてください。
今、栗山町に「木箱」のスタジオをつくっています。この栗山町から、世界に通用するような音楽を発信していきたいんです。このスタジオから、栗山町のサウンドが飛び出していって欲しい。音楽だけじゃなくって、栗山町の良さも一緒に伝わっていったら、嬉しいですね。
ーー栗山町から世界に誇れる音楽が生まれることは、まちにとっても希望となりますね。
まちの人みんなが盛り上がれるような、誇れるような、そんな空気感を作っていきたいです。
そして、子どもたちが栗山町を誇りに思ってくれたら。栗山町には素敵な音楽があって、魅力的なひとがいっぱいいて、かっこいいまちなんだって、胸を張って地元を誇れるようになったらいいなと、思っています。
自然あふれる栗山町。生き物の声を聞き、自然に全身をゆだねる。自分が感じる好きな「音楽」をこのまちから届けていく。身体から音楽が生まれるように、まるで子どものような素直な感性で音と遊び続けているSAyAさん。これから、栗山町でどんな音楽が生まれていくのでしょうか。
《SAyA(サヤ)》
北海道札幌出身。2004年に音楽ユニット「木箱」結成。ボーカル&キーボードを担当。電子音×生楽器の温かみのあるサウンドと透明度の高い声が特徴。6枚のアルバムを発表、楽曲提供や他アーティストとのコラボ、音楽フェスの出演やイベントの企画、海外ツアーなども行い、多角的に活動中。2013年にはソロプロジェクトRhythmy(リスミー)としても活動を開始。2022年に栗山町へ移住し、地域おこし協力隊情報発信プランナーを担う。
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