人と森の距離を縮める。丹羽林業が育てる森への心

取材:柴田涼平 執筆:谷郁果 写真:小林大起


ーーあなたが未来に残したいものは?

「いい木、いい森づくりを残したい」

厚真町の森、特にナラ類が生い茂るこの場所。ゆったりとした自然の中でお話をお聞きしたのは、有限会社丹羽林業の3代目である丹羽智大さんです。

祖父、父から受け取ったバトンを握る丹羽さんが、次は次世代へつなぐ役割に。今どんな思いでバトンを握っているのか、そして未来に馳せる想いを紐解いていきました。

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森とともに育った、このまちに帰りたい

ーー現在、丹羽林業の3代目として活躍されている丹羽さんですが、”継ぐ”ということは自然な流れだったのですか。

丹羽:丹羽林業は、自分のじいちゃんが立ち上げました。小さいころは、じいちゃんと一緒に住んでいて、よく林業の話とか会社の話を聞かせてくれていたんです。なので、丹羽林業という会社になにか思い入れがあったのでしょう。

高校在学中に進路を考えたとき、林業の道に進むことはなんとなく決めていて。そこで当時の高校の先生が進めてくれたのが、栃木県の大学の森林科学科でした。

ーー林業への道と、それ以外の道と、揺らぎはなかった。

丹羽:そこまでなかったですね。小学校の頃からバドミントンをやっていたので、身体を動かす仕事も頭をよぎったんですけど。結局、林業がいいなという思いと、やっぱりこの地元が好きという思いがあって。

ーーでは、大学卒業後はすぐに厚真へ。

大学時代は栃木で過ごしましたが、そこで北海道の良さに気がつきました。気候的にも、僕にとっては暑すぎました。1年目で夏バテしてしまったのもあって、就職で北海道へ帰りたいと思っていました。

ただ、いきなり親の会社に戻ったら甘えが出そうだったし、親元に戻る前にもっと「社会」を知りたかった。それで、北海道には戻りましたが、別の会社に務めました。

3年くらい経ったときに、父親から「人手が足りないから会社に来ないか」と言われて。丹羽林業に、そして厚真に戻ってきました。

ーー厚真に戻って来てから、現在は年数も経ったと思います。厚真での暮らしで、印象的なことはありますか。

丹羽:のどかで、しずか。街中のごちゃごちゃした雰囲気が苦手で、厚真ではゆったりのんびりできるのが良くて。

今、家庭菜園で野菜をつくっているんです。自分で収穫して、旬や食べごろに合わせて食べられるってしあわせだなって思います。もちろん、スーパーでも買うことはできるんですけど、やっぱり自分で手間をかけると全然違いますね。

自分の仕事が、100年後の誰かの仕事になる

ーーお父様の声かけで林業の道へ戻ってきたということでしたが、最初はどんなことを。

丹羽:実は、戻ってきた当初は全然やることがなくって。父は帰ってこいと言っていたのに、今度は「やることないわ」って言われましたね(笑)。

最初から任される仕事がなかったというのも、林業をやるにはまず、資格をとらなきゃいけなくて。安全講習とか技能講習とか、機械の扱い方なんかも、林業の世界はとにかく資格や講習が第一。

きっと、父もそれを見越して早めに声をかけてくれていたんでしょうね。

ーー現在は、丹羽林業で9年目になられますよね。この9年間の変化もぜひお聞かせください。

丹羽:今の仕事が楽しくなりました。できることも広がって、わかることも多くなってきました。「もっとこうしたい」という向上心もどんどん出てきていますね。

ーー丹羽さんが、会社として大切にされていることってどんなことでしょう。

丹羽:「いいものをしっかり残す」ですね。林業のサイクルは40年か60年。木を植えてから、またその木を切るまでには時間がかかります。自分が植えた木を自分の手で切れるかどうかはわからない。僕が植えた木は、次の世代の誰かが切ります。

自分が今、適当な仕事をすると、適当な木や森を残してしまうことになりますよね。そうすると、次の世代の稼ぎも減るし、仕事の面白さまで減ってしまうんじゃないかなと。

次の世代の担い手がつまらないと思わないように、いいものを残したい。これは意識していますね。

林業に触れる機会と、身近に感じるきっかけを

ーー丹羽さんは、これからやっていきたいと思っていることはありますか。

丹羽:林業って、世間から見るとなにをやっているかわからないですよね。まだまだイメージしづらい仕事だと思うんです。

9年前、自分が丹羽林業に戻ってきたとき、周りに同世代はいませんでした。さみしかったし、林業の未来が不安になりました。閉鎖的ではなく、もっと林業の枠を超えて伝えていかないと。

林業の仕事や、森で働く人の姿を外に伝えていきたいんです。林業に触れることで、将来その人の選択肢に林業が入るかもしれない。

林業に関わる人が増えて、繋がりが広がっていけばこの業界はもっと面白くなるんだろうなって。森と人を近づけることはやっていきたいなと思っています。

ーー最後に、丹羽さんが未来に残したいものは。

丹羽:もちろん、木も残したい。でもきっと、木は残るんですよ。

それよりも、木に対する「意識」を残していきたい。どんな木を植えて、どんな未来につながる森づくりをするのか。それが必要だということ。

そして林業に限らず、ここ、豊丘地区も残したいですね。過疎が進んで、同世代は減っている地域ですが、林業をひとつの入り口に、この地域を面白いな、住みたいなと思ってもらいたい。

僕が好きなこの地域が残るように、いい木を、いい森を、残していきたいです。


《丹羽智大(にわともひろ)》

1987年厚真町出身。栃木県宇都宮大学の農学部森林科学科卒業。大学卒業後は北海道へUターンし、きのこを生産する会社へ就職。現在は、1958年に祖父が創業し1990年に法人化された『有限会社丹羽林業』に3代目次期社長として勤めている。2019年、地域の森林づくりの後継者である北海道青年林業士に認定された。

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